2013-05

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散歩・旅行

福生から、なぜか目黒 

昨日はかなり人工的とはいえ自然を満喫する散策で1万9千歩も歩いてしまいました。 私には登山など、本当の自然に触れるのは困難なので、清潔な公園くらいで精一杯です。 で、今朝起きたら、もう自然はいいかなと思い、急遽福生駅から一時間半もかけて東横線の祐天寺駅まで戻りました。 駅に降り立てば、目黒区とはいえどこか猥雑さが漂う私鉄の駅前。 この人間くさい感じが良いですねぇ。 青梅まで足を伸ばそうかと思っていたのですが、タヌキでも出ようものなら腰を抜かしてしまいます。 東急東横線の祐天寺駅は、その名のとおり浄土宗の祐天寺の程近く。 都内にある巨大な浄土宗のお寺はほとんどそうであるように、ここも徳川将軍家が創建したお寺。 それだけに規模が大きく、寺域の整備も行き届いています。 上が山門の写真。 下が本堂の写真です。 今日だけで法事が4件も予定されていました。 墓地も大きく、相当儲かっているように見受けられました。 寺で生まれ育ったせいか、寺に行くとどの程度儲かっているかを想像してしまう悪い癖がついてしまいました。 あ、坊主業界を知らないみなさんにおかれましては、誤解しないでいただきたいのですが、金儲...
仕事

田植え

今日は端午の節句であり子供の日であり立夏であるというおめでたい日ですね。 ゴールデン・ウィークを構成する重要な日でもあります。 ゴールデン・ウィークという名称は、その昔映画が娯楽の王様であった頃、映画会社が大儲けできる週ということで名づけたとか。 NHKは頑なにこの名称を拒み、大型連休と呼んでいますね。 サラリーマンにとっては嬉しい週ですが、大学に入って、農家出身の友人が軒並みゴールデン・ウィークは田植えの手伝いしかしたことがない、と言って帰省するのを聞いた時、驚くとともに、そういうからくりであったかと、合点したことを思い出します。 兼業農家でも田植えができるようになっていたのですね。 都内の人混みを嫌って自ら都落ちし、千葉県内に就職したときも、兼業農家の人がけっこういて、やっぱりゴールデン・ウィークは田植えだと言っていましたっけ。 そういう意味では、長い休暇というよりは、田植えとそれに伴うきつい労働の週なのですね。 そういう方々のおかげで私たちはおいしい日本のお米を安定的に食すことができます。 お百姓さん、ありがとう。 しかし当然ながら、私は田植えをしたことがありません。 畑仕事をし...
散歩・旅行

多摩湖から国営昭和記念公園へ

今日はゴールデン・ウィークのわが家の定番となった軟弱首都圏一泊旅行へと出発しました。 軟弱ゆえ、家を出たのは朝8時。 仕事に行くよりゆっくりです。 明日も17時ころには家に帰りつく予定。 これもまた、仕事から帰るよりはるかに早いというわけで、疲労をなるべく抑え、それでいて日頃出掛けない場所を目指すという私のコンセプトに合致しています。 まずは東京駅まで行って、中央線に乗り換えました。 そこから約30分、国分寺駅で西武多摩湖線に乗り換え、西武遊園地駅で下車。 ガキどもの嬌声かまびすしい遊園地は素通りして、多摩湖がある狭山公園へ。  思いの他広く、しかも野趣あふれる自然が残る都立公園でした。 なんだかウォーキング大会を開いていたようで、リタイアしたと思しき老人たちが、わき目も振らずに歩いていました。 あんなに必死に歩いたら、まわりが見えずにつまらんでしょうに。 多摩湖は東京の水源を確保するために明治期に作られた人造湖のようで、強引な感じは否めません。 レトロな風情に取水塔が建っていました。 それもそのはず、大正時代に作られたそうです。 多摩湖畔を離れて緑あふれる公園の奥へ。 意外なことに、...
散歩・旅行

小さな旅

今日はこれから、なじみの薄い多摩地方へ一泊旅行に出かけます。 宿は福生駅前のビジネスホテル。 ここ数年すっかり恒例となった、軟弱な旅です。 怠け者の私には相応しいでしょう。 行ってきます。
文学

菊投げ入れよ

あるほどの 菊なげ入れよ 棺の中 夏目漱石が同時代の夭逝の歌人、大塚楠緒子の死にあたって詠んだ句です。 この人、詩歌を詠んだり、小説を書いたり、翻訳をしたり、明治時代にマルチな才能を発揮した女性です。 同時代を生きた夏目漱石にしてみれば、手足をもがれるような思いをしたことでしょう。 菊で思い切り棺を飾りたいという思い、切ないですねぇ。 今を生きている人間にとって、死は未知であり、また逆に逝ってしまった人にとって死は当然の事態でありましょう。 私たち生きている者は死がいかなるものであるか知りたくてたまらず、しかし死者は沈黙を守る他ありません。 私たちは最も知りたいことを知ることができず、死者は教えたいことが教えられません。 この生者と死者のミスマッチ、埋められることは無いのでしょうね。 私たち生きている者は、日々の雑事に追われながら、時折、根源的な死の恐怖に襲われることを如何ともなしえません。 この不思議を腹に抱えながら、あらゆる人々が平気な顔をして日々を生きていることが、不思議でなりません。 そういう私も、日々、雑事を平気な顔でこなしているのですが。  しかしそういう生き方以外に、いか...
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