2013-08

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散歩・旅行

季節の楽しみ

まだ昼間の日差しは強いながら、朝晩はめっきり涼しくなってきました。 もう夏も終わりですね。 秋は一年で最も過ごしやすい季節ですが、陽が短くなるのはかないませんねぇ。 学生の頃は、ことさら夏の暑さがこたえましたが、20キロ以上体重が落ちたせいか、猛暑と言われた今年の夏、あまり暑さを感じませんでした。 これから秋が訪れれば、散歩の季節。 ずいぶん色々な所を歩き回りましたが、まだ首都圏には行ったことが無い知られざる名所がたくさんあるはずです。 そういう所をさがして、歩き回りたいと思っています。 一方職場では、8月はのんびりムードでしたが、9月からまた怒涛の日々が始まります。 しかし私は心配していません。 今の私には、怖い物などありませんから。 夏には夏の楽しみがあり、秋には秋の楽しみがあります。 それら季節の楽しみを、存分に味わいたいものです。にほんブログ村 人気ブログランキングへ
精神障害

情緒不安定

先ごろ投身自殺した藤圭子の元夫が、故人が生前、極めて情緒不安定であったことを明かしました。 さっきまで機嫌よくおしゃべりしていたかと思うと突然攻撃的になり、理不尽な怒りを爆発させることがたびたびあり、元夫は精神科を受診するよう何度も勧めたそうですが、それが故人の怒りを買い、ついに精神科にかかることなく、自殺に至ったようです。 精神科にかかっていない以上、精神障害を発症していたのかどうか、また、発症していたとすれば病名は何だったのか、今となってはわかりません。 しかし、双極性障害で躁状態に陥って攻撃的になり、同居人を傷つけてしまった過去を持つ私からすれば、医者に診てもらって欲しかったですねぇ。 精神病薬と言っても、今は副作用も軽く、よく効く薬がたくさんあります。 処方された薬が合わなくても、合う薬が見つかるまで何度でも試せば良いのです。 私も最初、躁状態の発現を抑える薬としてデパケンが処方されましたが、肝臓の数値が悪化したため、リーマスに変えたところ、肝臓も良くなり、もちろん躁状態もなくなり、もう5年くらい躁状態はみられません。 精神科の敷居は今でも一般の人から見ると高いようですが、行っ...
社会・政治

野暮

嫌な事件が起きました。 横浜国立大学の元教授で、今は名誉教授の70歳の男が、奥さまに殴り殺されたんだそうです。 夫が医者に禁じられている酒を飲み、しかも浮気したために夫婦喧嘩になり、マグカップで何度も殴りつけたところ、死亡してしまったとか。 奥さまは61歳。 殺意は否認しているそうで、おそらく殺すつもりはなかったと思います。 殺すつもりなら包丁で刺すとかスパナで殴るとか、確実な方法を採ったでしょうから。 奥さまは夫が意識を失うや慌てて救急車を呼び、病院に搬送されましたが、病院ではかなくなってしまいました。 飲酒や浮気が腹にすえかねてつい手が出てしまったのでしょうが、殺してしまってはねぇ。 夫を亡くした上に自分は殺人犯として服役しなければなりません。 人生の黄昏時にこんなことが起ころうとは、犯人も被害者も想像もしていなかったでしょう。 何年前に結婚したのかは知りませんが、おそらくは長く連れ添ったものと思われます。 そもそも愛想を尽かしていれば、夫が酒の飲み過ぎで死のうが、浮気相手と家を出て行こうが、いっそ清々したとしか思わないでしょう。 激高して殴ること自体、夫に執着していた証拠と言えな...
社会・政治

みんなじゃない

名は体を表すと言いますが、近頃のみんなの党の動きを見ていると、全然名前と違っているように感じます。 私はもともとみんなという日本語が大嫌いで、一度も口にしたことがなく、そんな言葉を党名にしている段階で、怪しい政党だと思ってきました。 化けの皮が剥がれてきたようです。 みんななんて全体主義的な名前を付ける心性が、この党の危うさを物語っているように思えてなりません。 で、先ごろ、渡辺代表は、長いこと代表と二人三脚でこの党を引っ張ってきた江田幹事長を更迭し、維新などとの連携・合流のためには解党も辞さないと考える柿沢議員がみんなの党から追い出されてしまいました。 その上、このたび、柿沢議員に近い考えを持つ2名の議員から事情聴取を行うんだそうです。 渡辺代表は純化路線を唱えているようですが、基本政策は一致しているのに、党としての戦略に関する考えが違うというだけで、党を追い出したり役職を更迭したりしては、誰もついていけなくなってしまいます。 結局みんなの党は、国民みんなのために存在するのではないだけでなく、党員みんなのための党運営さえしない、渡辺代表の独裁政党であることが明らかになってきました。 ...
思想・学問

耶蘇教

わが国においては、戦国時代にサンフランシスコ・ザビエルが耶蘇教を伝えましたが、ついにわが国にその教えが根付くことはありませんでした。 当時の宣教師の日記に、「日本人は他のアジア人と違い、日本人は極めて好奇心が旺盛で、天文の話などを熱心に聞きたがる、しかし、神の話には関心を示さない」と嘆いています。 宣教師は当然、神様の話を日本人に広げたかったものと思いますが、日本には八百万もの神様がおわしまし、そこに1柱くらい加えようがどうということは無いというのが、当時の日本人の素朴な感情だったようです。 今もなお、日本人は耶蘇教に転じる人はごくわずかで、実家の宗旨を知らなくても、とりあえず仏教徒であるという意識だけはあるように感じます。 実家の宗旨を知らないことは、責められてもおかしくないように思いますが、私は逆に感じます。 仏教は東南アジアの上座部仏教(小乗仏教)も、北東アジアで花開いた大乗仏教も、その根本は同じだという認識で一致しており、そこが小さな宗旨争いを繰り返す耶蘇教やイスラム教と大きく違っています。 実家の宗旨を知らなくても、大きな意味で仏教徒であるという自覚があれば、それは立派な仏教...
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