2015-06

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文学

「ミノタウロス」あるいは単純な力

昨日、佐藤亜紀の「ミノタウロス」という小説を読み終わりました。 ロシア革命期の混乱を背景に、ウクライナ地方で殺人や盗みなど、悪の限りを尽くす少年と二人の仲間の物語です。 ミノタウロスとはギリシア神話に登場する、頭が牛、体が人間の怪物ですが、これは残虐と暴力の象徴と捉えるべきで、作品にそういう化け物が登場するわけではありません。 ミノタウロスの絵画です。 主人公はウクライナ地方の田舎地主の次男坊として生まれ、何不自由なく育ちます。 ドイツ語やフランス語も学び、お坊ちゃんらしく、どこかシニカルではありますが、特別乱暴な少年ではありません。 しかし、父親が亡くなり、続いて兄も自殺するにおよび、父親代わりとなった男を殺害し、無頼の旅に出ます。 時あたかもロシア革命の真っただ中。 私はロシア革命というのは、基本的に赤軍と白軍が真っ当に戦ったのだと思っていましたが、この小説に描かれているのは、赤白どちらに属していようと、おのれの利益のためには簡単に寝返る兵士、下手をすると正規軍以上の兵器を持ったヤクザ、ごろつき、一匹狼などが暗躍する混沌とした世界。 簡単に人を殺し、女を犯し、食糧や武器弾薬を強奪す...
社会・政治

動物愛護と暴力

昨今、動物愛護ということが叫ばれるようになりましたね。 動物愛護の元祖は、おそらくわが国の犬公方が出した生類憐みの令ではないでしょうか。 わが国では、天下の悪法のように言われていますが、海外ではけっこう評価されているようです。 生類憐みの令と言いますが、実際にはそういう名前の法律もお触れもなく、徳川綱吉がいくつも発した殺生を禁じる令を総称しているようです。 また、時代劇などでは犬ばかりを保護したように描かれていますが、もともとは老人や病人、子供などの人間の弱者を保護するように、というのが主眼でした。 しかも罰則は無かったそうです。 ところが罰則が無い故に守る者が少なかったため、しだいに罰則を設け、犬猫や家畜のみならず、ハエや蚊を殺しても罰せられるという悪法に変わっていったようです。 しかし、巷間言われるほど厳しい取り締まりがあったわけではなく、運用は緩かったようです。 生活保護や厚生行政が発達していない時代においては、これは画期的なもので、特に人々の意識を変えることになったようで、そのことが外国で評価される理由と言えましょう。 それまでは、行き倒れの病人やけが人をほったらかしにするのが...
その他

それにつけても金の欲しさよ

それにつけても金のほしさよ、とはよく言ったものです。 お金というのは大体どんな社会にもありますね。 物々交換では経済が発展しませんから、お金が発明されたわけですが、昔は金貨や銀貨だったものが、いつの間にやら紙切れに代わってしまいました。 紙切れが欲しくて欲しくて仕方ないのが凡人というもの。 しかしそれも当然で、紙切れがなければ寝るところにも食べる物にも不自由し、下手をすれば死んでしまうわけですから。 そういう私も平日の大半を紙切れを手に入れるために浪費し、時には宝くじなどを購入して一攫千金を夢見る守銭奴です。 世の中には金で買えない物もある、という言い様をする人がいますが、裏を返せば金で買えない物はほとんど無い、という意味でしょうね。 うなるほど大金を持つ必要はありませんが、まぁまぁお金の心配をしなくても人並みに暮らせるだけの収入が無ければ、人は幸福にはなれないでしょう。 貧乏はそれだけで不幸だろうと思います。 貧乏ながら楽しく生活、なんて言ったって、それは生活できる程度の貧乏であって、食うや食わずの極貧であれば、心は荒むに違いありません。 私は心が荒むほどの貧乏はさすがに経験したこと...
社会・政治

国家の悪

戦後に生まれ育った圧倒的多数の現代日本人は、ともすると、大日本帝國と日本国が断絶しているかのような錯覚に陥っているかのごとくです。 しかし私は、このブログで何度か指摘しているとおり、戦前も戦後も、あるいは江戸時代も平安時代も、日本人の本質は全く変わっていないと思っています。 敗戦ショックからか、明治維新に始まった帝国主義時代の日本を、暗黒の時代のようにとらえる見方が現れ、一時それはそれなりの支持を得ていたようですが、全く馬鹿げた考えだとしか言い様がありません。その当時は、植民地を持つ帝国主義国家として自立するか、あるいは植民地支配を甘んじて受けるか、どちらかしかなかったわけで、賢明な国民なら、前者を目指すのが当然です。 大日本帝國は白人の帝国主義国家群をお手本として軍備を整え、植民地獲得のための戦いを繰り広げました。 言わば白人帝国主義国家群の優秀な生徒だったわけです。 そしてわが国は有色人種の国家として初めてその偉業に成功し、それかあらぬか第一次大戦後の講和会議では、人種差別撤廃の文言を入れることを主張するも、白人国家群の反対にあって断念せざるを得ませんでした。 大日本帝國のこの正当...
その他

人工とびお

わが国では、七つまでは神のうち、などと言って、子供は一人前の人間ではなく、神に近い存在ととらえられていたようです。 同時に、老人、わけても男の老人もまた、もはや人ではない、神に近い存在と考えられていました。 その尊称が翁であり、能楽などでは特に重要な存在とされています。 猫も長生きすれば猫又というこの世ならぬ存在になりますし、狐もまたしかり。 九尾の狐なんていうのも、信じられないくらい長生きし、妖狐の最終形などとも呼ばれます。 現代においては、年をとっても若々しく活動的な老人が良しとされますが、それは自然の摂理に反するというものです。 肉体労働などは不可能になり、頭も弱くなってくるのですから。 尊称ではないながら、例えば90歳を過ぎて元気だった岸信介元首相は、昭和の妖怪と呼ばれました。 さしずめ中曽根元総理などは、平成の化け物でしょうか。 年を重ねるということが、その人を人ではない化け物もしく神に近い存在へと変貌させるのだとしたら、長く生きるということは、とてつもない偉業に思えてきます。 先日、職場の先輩が53歳で急死しました。 心筋梗塞だったようです。 先輩はついに翁に変じることなく...
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