2016-09

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社会・政治

15年

昨日は9月11日。 9月11日といえば、米国を襲った9.11テロを思い出します。 2001年に起きたあの忌まわしいテロ攻撃から、早いもので15年が経つのですね。 おぎゃあと生まれた赤ん坊は、もう中学三年生ですか。 あの日、結婚から3年目の私は、遅い夏休みを取り、東北旅行から帰って、疲れて早寝しました。 テレビを見ていた同居人から、大変なことが起きている、とたたき起こされたのでした。 テレビでは繰り返し、2機の旅客機が、世界貿易センタービルのツインタワーに突っ込む映像が流れていました。 そのうえ、その後ツインタワーは崩落。 それを見た中東のイスラム教徒が踊りながら喜んでいる映像が印象的でした。 人は価値観の異なる人々の凄惨な死を、怪我を、喜ぶのですね。 慄然とせざるを得ませんでした。 1機目の時は、機長がおかしくなって起きた事故かな、と思いましたが、2機目が突っ込むに及び、これは人為的な攻撃だと、誰もが思い知らされることになりました。 さらに国防総省も狙われ、大規模な同時多発テロであることが判明しました。 あの晩は腰を抜かすほど驚きました。 自由の名のもとに世界を支配する巨大帝国の中枢が...
美術

宇宙と芸術

昨日は六本木の森美術館に「宇宙と芸術」展を観に出かけました。 近未来を思わせるモダン・アートから、宇宙とつながりが深いということで、「竹取物語絵巻」などの古典まで、幅広く展示されていました。 展示物のいくつかは撮影可でしたので、下に貼っておきます。    展覧会のイメージがお分かりいただけたでしょうか? なんとなく脈絡の感じられない作品群が並んでいましたが、共通しているのは、人間はこれからどこへ向かい、どこへ行ってしまうのだろう、という不安を感じさせることです。 決して、明るい未来などではありえません。 数百年かけて、火星を人が住める第二の地球にしようというプロジェクトがあるそうです。 そんな人智を超えたことが可能なのでしょうか? 美的体験とは言いがたい展覧会でしたが、人間の行く末を考えさせる力はあったように思います。 少し暑かったですが、帰りは疲れてぼうっとした頭をしゃっきりさせるため、お隣の麻布十番駅まで歩きました。 坂がちで少々歩きにくくはありましたが、都内散歩は楽しいものです。にほんブログ村美術館・ギャラリー ブログランキングへ
映画

イット・フォローズ

午後はDVDを鑑賞しました。 ホラーらしからぬホラーにして、ホラーにしては珍しく数々の賞を受賞した、「イット・フォローズ」です。 何かの呪いに感染すると、正体不明の人間?らしきものがついてきて、捕まると殺される、というお話。 「それ」は人にうつすことができる。 「それ」はうつされた者にしか見えない。 「それ」はゆっくりと歩いて近づいてくる。 「それ」はうつした相手が死んだら自分に戻ってくる。 そして、「それ」に捕まったら必ず死が待っている。 うつすのは少々面倒で、性行為に及ばなければなりません。  「それ」が何なのか、最後まで分かりません。 分からないのが怖いのでしょうが、あんまりにもわけが分からなくて、不条理劇の様相を呈しています。 19歳のジェイが恋人と初めてセックスするのですが、終ってから男の態度が一変。 「それ」の特徴を教えるや、失踪してしまいます。 しかも、早く人にうつすことを考えろ、女なら簡単だろ、人にうつせば、そいつが殺されない限り大丈夫だ、とひどいことを言います。 殺されると、一つ前の感染者がターゲットになり、どんどん遡る、という呪い。 ホラー映画にしては奇妙に静謐な、...
文学

柩の中の猫

今日は病気休暇を取りました。 背中の脂肪腫の手術で縫った糸を抜くためです。 午前10時には抜糸は終り、小説を読みました。 御大、小池真理子先生が作風を変えようと書いた、と自らおっしゃる「柩の中の猫」を読みました。柩の中の猫 (集英社文庫)小池 真理子集英社 不思議な読後感の作品です。 1955年、絵を学ぶために大学の美術教師の家に小学生の娘の家庭教師という名目で同居することになった20歳の雅代。 美術教師の妻は亡くなっており、3人の生活が始まります。 明るく、社交的でパーティー好きの美術教師。 ララという真っ白な猫を溺愛する小学生の娘。 順調に見えた生活が、美術教師の婚約者の出現によって暗転し、物語は加速度をつけて展開します。 広い意味ではサスペンス仕立ての小説ですが、この作家は何よりも心理描写が見事です。 雅代や小学生の娘の心理が卓越した筆で描かれます。 よく人が死ぬのはご愛嬌。 一匹の白い猫をめぐる愛憎劇が、これほど優れた心理劇を生むとは、さすがに御大です。にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ
思想・学問

嘘八百、あるいは芝居

平凡な毎日をおくるなかでは、ひどい悪や、素晴らしい美を経験することはほとんどありません。 日常生活が退屈な所以と言えるでしょう。 日々を平凡に生きていると、素晴らしい美的体験や、逆に反吐が出るほどひどい悪に巡り合いたいという極端な欲求を持つことがあります。 それが、グロテスクなホラー映画や、美的な芸術を鑑賞したいという欲求に繋がるのでしょう。 たびたび指摘したことですが、私は、真実は嘘八百の中にしか存在し得ない、という予感を強く持っています。 自然科学はこの世の在り様を解明することはできても、在り様の真実を突き止めることは出来ません。 人文科学にいたっては、ほとんど思考の遊びに堕しています。 私が学問を信じない所以のものです。 文学作品などの芸術の分野は、端から真実の探求を捨て去り、おのれの直感や霊感の命ずるままに、美しいと思うもの、あるいはある見方を提示する作品を生み出していると言えるでしょう。 逆説的ですが、真実の探求を捨て去ったからこそ、真実に近づくことが出来るのだろうと思います。 私の精神性は、そういった嘘八百の世界に強いシンパシーを感じるように出来ているようで、そのためか現実...
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