出物腫れ物ところ嫌わず、とか申します。
おならやげっぷを人前でするのは恥ずかしいこととされていますが、出てしまうものは仕方ありません。
私も子どもの頃、曽祖母の通夜で大きな屁をしてしまったことがあります。
まだほんの幼児でしたが、顔から火の出る思いでした。
今でも鮮明に覚えているところをみると、幼心によほど恥ずかしいと思ったのでしょう。
これが良家の子女や婦人であればなおさらです。
屁の論に 泣くもさすが 女なり
という江戸川柳があります。
男女が何人か集まっているところで、誰かがすかし屁をし、一体誰がやったのかということになり、中の女性が疑いをかけられ、泣き出すさまを詠んだ句です。
胃腸神経症という病気もあるそうです。
いつもおならが出るんじゃないかと気になり、実際に出たりして、ひどくなるとおならのことしか考えられず、引きこもりみたいになってしまうそうです。
赤面恐怖症や視線恐怖症、吃音なんかと根っこは同じだと言われていますね。
そこで江戸時代には、粋な商売がありました。
屁負比丘尼(へおいびくに)です。
要するに良家のお嬢様や御婦人と行動を伴にし、お嬢様や御婦人が屁をひってしまった時、「申し訳ございません。とんだ粗相をいたしました。私めがやったことでございます」とかなんとか言って、お嬢様や御婦人が気兼ねなく屁をたれることができるようにする尼の格好をしたおばさんです。
こんな商売、江戸期のわが国以外で聞いたことがありません。
よほど体面を重んじていたのでしょうね。
だけど屁負比丘尼を連れていれば、あ、あのお嬢さんかましたな、と、逆にバレバレになりそうな気がしますが、そこはそれ、そんなことを言うのは野暮だったのでしょうねぇ。
その場にいるみんなが屁をめぐってくだらぬ芝居を打っていたのかと思うと、楽しい気分になります。
これも恥を重んじるわが国文化の伝統なのでしょうかねぇ。