美術

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五百羅漢

雨の中、両国の江戸東京博物館に行ってきました。 展覧会は、「五百羅漢」展です。 五百羅漢とは、釈迦の後を継いで仏法を広めた阿羅漢たちのことです。 ちなみに阿羅漢は、修行を積んで悟りを開いた僧ということになっています。 しかし狩野一信描く増上寺秘蔵の仏画100幅は、たやすく仏画と呼べるような代物ではありません。 その絵は悪趣味と言えるほど毒々しく、観る者の心をえぐります。 地獄を描いた絵など、天上から阿羅漢が苦しむ人々を救おうと杓や糸を垂らすのですが、阿羅漢はまるで子どもが小さな虫をいたぶって悦に入っているような、喜悦の表情を浮かべています。 その絵の強烈さを思い知らされるのは、97幅目に至ったときです。 タッチはそっくりながら、97~100幅は、まるで魂が抜けたように、あるいは上品とも、抜け殻ともいうべき絵なのです。 解説を読んで得心しました。 狩野一信は96幅目を書き終えたところで亡くなっており、残りを妻と弟子が描いたというのです。 今でいえば、梅図かずおの絵のような、不気味な迫力に満ちています。 幕末の高僧たちが、これらの羅漢図を良しとしたことに、驚きを感じます。 絵の持つ力の強さ...
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青という色、爽やかな青春のイメージが強いでしょうか。 白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも染まず漂ふ  若山牧水 この有名な和歌は、青という色の持つ印象を端的に表しているように思います。 言わば、正の青。 しかし青には、邪のそれが存在することを、認めないわけにはいきません。 例えば、青髭男爵、ジル・ド・レー。 彼は領地の村に住む少年を次から次にさらっては虐殺し、悪魔に捧げて後はその死骸で淫らな欲望を満たしました。 一説には、その数、600名とも。 酒鬼薔薇聖斗や宮崎勤が権力を握った場合を想像してみれば分かりやすいでしょう。 そしてまた、「雨月物語」に見られる青頭巾。 美濃の国の高僧が、越の国から来た稚児を寵愛し、稚児が病に没すると稚児の遺骸を何日も抱き、ついには稚児の死肉を喰らい、骨をしゃぶり、気がふれて鬼に変じてしまいます。 以来、墓を暴いては死肉を喰らうすさまじい生活を送るようになり、村人たちから恐れられます。 それを旅の禅師が説得し、悪行を止めさせます。 青頭巾は、鬼から高僧へと戻るためのまじないのような役割を果たします。 映画「ブルークリスマス」では、UFOを目撃した者...
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人形愛

世の中には、生身の女性を愛することができず、もっぱら人形や下着に興味を持つ人がいます。 私はかつて四谷シモンの人形に魅せられて、写真集を購入したことがあります。 私が人形に対して抱くイメージは、純粋に芸術作品に対するものとは違っているように思います。 もっと隠微な、暗い欲望が潜んだ、それでいて無機質で清潔な、不思議な感動を与えられる、そんなイメージです。 最近ではいわゆる芸術の分野に区分される人形作家の作品だけでなく、リアルラブドールと言われるダッチワイフにも、精緻で職人芸的な芸術性があるように思います。 四谷シモンの作品2点です。 この不気味な妖しさをたたえた造形美は、何と呼んだらよいのでしょうか。 井桁裕子の作品2点です。 このリアルさと大胆なデフォルメ。 赤ん坊の体に大人の顔、勃起した陰茎。 私はただ、圧倒されるばかりです。 ホリヒロシの作品2点です。 美女にも鬼女にも見えるその美しさは戦慄を覚えます。  ちなみに一体60万円くらいするそうです。 人形作家には、愛くるしくてユーモアあふれる作品を作る人もたくさんいますが、どういうわけか私は妖しいほうへ妖しいほうへと興味が向いてしま...
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シュール・レアリスム展

六本木の国立新美術館に「シュールレアリスム展」を観にいきました。 関東の国立博物館・美術館が震災の影響で軒並み休館しているなか、根性の営業です。 客の入りもまずまず、といったところでしょうか。 シュールレアリスムというと、アンドレ・ブルトンの「シュールレアリスム宣言」が有名ですが、彼の小説は面白くありません。 自動筆記や、多数の作家が一単語か二単語ずつ書き綴っていくとか、実験的な手法を試みましたが、どれも成功したとは言いがたいように思います。 甘美な死は、新しい、ワインを、飲む。 というのがその一例です。 それに比べて、後にシュールレアリスムから離れていくことになるダリやピカソの絵は、永遠の命を得たと言っても過言ではないと思います。 シュールレアリスム運動から離れていった多くの芸術家が、アンドレ・ブルトンとの不仲によるものだった、と言われていますが、偉大な理論家は平凡な実作者に過ぎず、さらには無能な鑑賞者であったのだろうと推測します。 観るものを挑発するような不可思議な抽象絵画ばかりを集めた展覧会。 インパクトは十分でしたが、こちらの精神的エネルギーを害されたようで、少々疲れました。 ...
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金子国義の魔道

私は高校生の頃、サド侯爵の狂気じみたアンチ・キリストの文学作品に熱狂しました。 それはことごとく後にサド裁判で有罪となる渋澤龍彦訳のもので、金子国義の挿絵が挿入されていました。 当然のように、私は金子国義の絵画作品にも熱狂することになります。 「かもめ」です。 妖しいエロティシズムが感じられます。 「悪徳の栄え」です。 アンチ・キリストの象徴でしょうか。 「火の番をする女」です。 嫌になってきましたか?「股のぞき」です。最後に最も有名な、「アリスの画廊」です。 サド侯爵の文学同様、濃い感じの作品群で、それは幻想的ともユーモラスとも感じられます。  私はこの魔道へ足を踏み外しそうになりましたが、大学入学後、嫌と言うほど古文漢文を勉強させられ、魔道に落ちることはありませんでした。  しかし今でも時折、魔道への誘惑に囚われることがあります。 そんな時は逆に、思いっきり魔道へ導く書物や絵画に触れることにしています。 そうすると、くどい料理はすぐ飽きるのと同様、飽きてくるのです。 そういえば渋澤龍彦は稲垣足穂をわが魔道の先達とよんでいましたっけ。 稲垣足穂は「少年愛の美学」で日本文学大賞をとり、...
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