美術

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高島野十郎展

昨日は千葉県立美術館に出かけました。 高島野十郎展を観るためです。 この人の存在は知らなかったのですが、NHKの日曜日術館で紹介され、知りました。 生前はあまり売れず、苦しい生活だったようです。 死んでから評価されるなんてつまらないですね。 生きているうちにもてはやされて、死後忘れ去られる方が良いように思います。 月と蝋燭をモチーフにした絵が多かったように思います。 月の絵は、闇を描くために描いたのだとか。 写実的な手法を用いながら、どこか浪漫的な絵画群で、私を圧倒しました。 多くの絵が写真撮影可能な点も良かったと思います。 無名の画家の魂の叫びを聞きました。
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ムーミン

昨日は4週間に一度の精神科の診察でした。 特に変わったことも無く、安定しているということで薬は変わらず。 まずは上出来です。 診察の前、そごう千葉店でムーミングッズの物販会をやっていたので冷やかしました。
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民藝

昨日は朝の内科と夕方の精神科の間をぬって、千葉県立美術館に足を運びました。 「民藝」展を観るためです。 民藝とは実際に使用する道具に美を見出そうという運動です。 茶碗であったり、着物であったり、家具だったり、普段何気なく使っているもののことです。 世の中では、文学や芸術を指して、無用の用という言い方をします。 実際の役には立たないけど必要なものである、ということかと思います。 一方、民藝では用の美と言います。 実際に使っている物に美を観るということかと思います。 ほとんどは撮影禁止でしたが、上の家具だけは撮影が許されていました。 折角だから上がってみたいと思ったのですが、それは駄目でした。 無用の用とは異なる用の美を追求した優れた展覧会だったと思います。
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日曜日

昨夜、少々飲みすぎたようで、今朝は食欲がなく、珈琲を2杯飲んだだけで、朝食は抜きました。 何もやる気が起きず、かと言って、もう眠れないと思い、伸びた髪が気になって、床屋へ散髪に行きました。 床屋の旦那はおしゃべり好きで、煩わしいことさえありますが、今日は会話が脳を刺激したのか、少し、元気になりました。 帰宅して、ソファで眠ってしまいました。 目覚めたらもう11時半。 さすがに腹が減って、近所の蕎麦屋に行きました。 食ったのはとろろ蕎麦。 蕎麦屋に行くと、大体とろろ蕎麦か鴨せいろを食します。 コロナで酒類の提供が自粛になる前は、食前に一合の酒を冷やでやるのを慣例としていました。 そのほうが蕎麦が旨くなるし、食欲もわくからです。 でも今は、それも堪えねばなりません。  蕎麦屋のスターメニューである天ざるを頼むことはありません。 揚げ物は好みませんので。 とろろ蕎麦を食って満足し、その足でスーパーに一週間分の食料を買いに行きました。 納豆とか卵とか、ハムとかソーセージとか、塩辛とか糠漬けとか、そんな物です。 そして忘れちゃいけないのが晩酌用の焼酎です。 今晩のつまみは、アジの塩焼きとオクラ、...
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ギュスターヴ・モロー展

今日はパナソニック汐留美術館に出かけました。 お目当ては、ギュスターヴ・モロー展。 この人は、私がもっとも偏愛する画家です。 今回は、女性の絵画を中心とする展覧会でした。 サロメやセイレーン、一角獣と美女等、神話や文学に登場する悪女や化け物、淑女などを幻想的かつ美的に描いた作品群で、毎度のことながら、圧倒されました。 特に、船乗りを美しい歌声でおびき寄せ、殺してしまう海の化け物であり美女でもあるセイレーンを描いた絵には釘付けになり、その絵の前からなかなか去ることが出来ませんでした。 象徴主義の巨匠であり、マチスやルオーにも大きな影響を与えたモロー。 この人が居てくれて、本当に良かったと思わされました。
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激動の時代の芸術

今日は千葉市美術館に出かけました。 ある方から招待券を頂いたので、たいして興味のない展覧会でしたが、もったいないので。  1968年激動の時代の芸術、というのを観てきました。 千葉市美術館は、市立にしては予算があるのか、鏑木清方展など、洒落た展示をやるので、好事家の間では有名ですが、今回のはいただけません。 美術というより、特殊な時代を懐かしむだけの展示でした。 がっかり。
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浮遊する(密やかな楽しみ)

私は美術館に行った折、気に入った絵があると絵葉書を購入します。 展示図録などは重いし高いし、何より好きになれない絵も多数掲載されているからです。 最近、溜め込んでいた絵葉書を、自室の壁や書棚の壁面に貼りつけ、それを眺めながらお香をたいて独り、悦に入ることが多くなりました。 それらお気に入りは、大体幻想的なものか抽象的なものです。  私が幻想的な絵画や文学、映画を好むところ、人後に落ちるものではありません。 同居人はそんな密やかな楽しみを得た私に、なんか、新興宗教みたい、だとか、浮遊する絵が多いね、君の人生と一緒だ、などとほざきよります。 一ヶ月ちょっと前に薬の調整があってから、なんとなく調子が良くなり、おかしなことを始めたように見えたのでしょう。 しかし私に言わせれば、それが本来の私であって、何も現実逃避をしているわけではありません。 夜をそんな風に過ごすため、最近は呑まない日が増えて、肉体と精神双方に良い、一石二鳥の循環です。
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岡本神草の時代展

梅雨が明けて、本格的に暑くなりました。 昨日は千葉市美術館に出かけました。 岡本神草の時代展を観るためです。 大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、38歳の若さで亡くなってしまいますが、極端な寡作で、完成した絵はいくつもないとのことで、未完の絵画が多く展示されていました。 日本画の展覧会ということで、着物で行くと2割引。 こういうの、結構あります。 今年初めての夏の着物で出かけました。 美人画というよりは、どこか不気味な、幽霊画のように観えました。 永久に完成せざる藝術は無限に進歩する。完成の刹那、藝術は命を失う、とは、彼の名言です。  私の精神に激しく感応する作品が無かったことは残念です。
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「画壇の悪魔派」と呼ばれた日本画家

今日は年休。 今日を含め、年休があと3日残っていますので、年内に使いきらなくてはなりません。 昨日は千葉市美術館に出かけました。 「北野恒富ー画壇の悪魔派と呼ばれた日本画家ー」展を観るためです。 明治から昭和初期にかけて活躍した美人画家で、京都の上村松園、東京の鏑木清方と並び称せられる、大阪の大家です。 印象としては、美人画がまるで幽霊画のように見える作品が多いこと。 特に能の「班女」を題材にした「狂女」という作品は衝撃的で、小一時間もその絵の前に立ち尽くし、呆然と眺めていました。 おかげで疲れてしまい、他の絵をじっくり観る気が失せてしまいました。 「班女」は、恋しい男が扇を置いてこなくなってしまった遊女が、扇ばかりを見つめ、狂ったようになってしまう物語で、「狂女」からは狂おしいまでの男を思う女の気持ちがあふれ出て、私を圧倒しました。 疲れましたが、疲れる美術展というのは良い展覧会なのだと思います。 疲れるほどに絵画鑑賞に熱中できた、ということですから。にほんブログ村 芸術・人文ランキング
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仏像が芸術になった時

今日において、仏像や仏画、仏教建築などが、美術作品であることに異論をはさむ人はほとんどいないでしょう。 しかし、それらが制作され、人々の信仰の対象のみであった時代においては、美術作品という認識は薄かった、もしくは皆無であったのではなかろうかと推量します。 もっといえば、美術とか芸術とかいうものは、明治以降、西洋の思想を取り入れた時に生まれた概念で、それまでのわが国には、そもそも絵や彫刻は存在したにしても、それらを総称して美術とか芸術とかいう意識は無かったんじゃないかと思います。 それらはあくまで、絵であり、彫物であり、音曲であり、物語であり、戯作であったことでしょう。 明治初期、わが国で芸術や美術ということを強烈に印象付けたのは、浮世絵が西洋に与えた強い影響だったのではないかと思います。 わが国においては、浮世絵はそれほど重要なものではありませんでした。 しかし、西洋でジャポニスム運動が起こることで、改めて浮世絵が見直され、同時に、美術や芸術が優れていることは、国威発揚にまでつながることを実感したものと思います。 で、仏教美術などの宗教的芸術。 明治4年に布告された古器旧物保存方では、...
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地獄絵ワンダーランド

昨日は日本橋の三井記念美術館に出かけました。 地獄絵ワンダーランドを観るためです。 この美術館、和装で行くと300円割引になることから、当然、夏の着物で出かけました。 昨日の日本橋、やけに浴衣などの和装の男女を多く見かけるなと思ったら、隅田川花火大会の日だったのですね。 昼間は日本橋界隈を冷やかし、夕方になったら隅田川を目指そうということでしょう。 同じ理由で、浅草や銀座にもきっと多くの和装の男女が繰り出したことでしょう。 和装文化復活を願う私にとって、嬉しい光景でした。  地獄絵ワンダーランド、水木しげる先生の地獄絵に始り、様々な時代の地獄絵や、平安時代に書かれた極楽に行くためのハウツー本であり、地獄の有様を活写し、その後の日本人の地獄のイメージを決定付けた往生要集などが展示されていました。往生要集〈上〉 (岩波文庫)石田 瑞麿岩波書店往生要集〈下〉 (岩波文庫)石田 瑞麿岩波書店 地獄には八つの階層があり、なかでも最下層の無間地獄には、逆さに落下して到着まで二千年もかかり、到着後は鬼から様々に苦痛を与えられるとのことで、往生要集を読んだ変案じ代の人々は震え上がったことでしょう。 そ...
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日本の伝統芸能展

今日は北風吹きすさぶなか、日本橋の三井記念美術館に出かけました。 「日本の伝統芸能」展を観るためです。 京葉道路から首都高速をとばすこと約40分、都営日本橋地下駐車場に到着。 歩いて7~8分で目指す美術館に着きました。 雅楽・能楽・歌舞伎・文楽に関する様々な面や衣装、道具などが展示されていて、圧倒されました。 わけても、早くになくなった妻をしのんで作製したという女の能面、「おもかげ」に魅了されました。 その艶やかな面は、職人の魂が吹き込まれたかのごとくで、まるで生きているような錯覚にとらわれました。 その魂を思うとき、同居人に先立たれたら、私は廃人同様になってしまうのではないかという危惧を抱かせます。 今日は同居人の48歳の誕生日。 出会った時、彼女は23歳でした。 もう25年も経つのですね。 これからも、末永く一緒にこの世を冒険したいものだと思います。にほんブログ村 美術館・ギャラリー ブログランキングへ
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ラスコー展

今日は上野の国立科学博物館に出かけました。 お目当ては、ラスコー展。 1940年に、フランスのラスコー洞窟で遊んでいた子供たちが偶然発見したというラスコー洞窟の壁画にまつわる展覧会です。  私はラスコー壁画は一種の落書きのようなものだと思い込んでいました。 しかし今日、展覧会を見て、それは全くの誤解であったことを思い知らされました。 2万年も前にクロマニヨン人によって描かれた動物を中心とする壁画。 それは巨大で、しかも力強い美しさを持っていました。 実物大の壁画の模型は、私を圧倒しました。 真っ暗な巨大洞窟のいたるところに巨大な壁画を描くという行為は、一人でできるものではなく、しゃもじのような形状のランプに動物の脂を浮かべ、火をともし続ける役の人、様々な顔料を作る人、そして絵を描く人々の共同作業で進められたと推測されます。  上の写真がランプです。 2万年前に、ランプを灯してまで巨大壁画を残したクロマニヨン人に脱帽です。 それは現代で言えば、一種の巨大プロジェクトのようなものだったのではないでしょうか。 動物の壁画を残そうとする精神、そしてまた、それを集団で行おうとする意思。  まさし...
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宇宙と芸術

昨日は六本木の森美術館に「宇宙と芸術」展を観に出かけました。 近未来を思わせるモダン・アートから、宇宙とつながりが深いということで、「竹取物語絵巻」などの古典まで、幅広く展示されていました。 展示物のいくつかは撮影可でしたので、下に貼っておきます。    展覧会のイメージがお分かりいただけたでしょうか? なんとなく脈絡の感じられない作品群が並んでいましたが、共通しているのは、人間はこれからどこへ向かい、どこへ行ってしまうのだろう、という不安を感じさせることです。 決して、明るい未来などではありえません。 数百年かけて、火星を人が住める第二の地球にしようというプロジェクトがあるそうです。 そんな人智を超えたことが可能なのでしょうか? 美的体験とは言いがたい展覧会でしたが、人間の行く末を考えさせる力はあったように思います。 少し暑かったですが、帰りは疲れてぼうっとした頭をしゃっきりさせるため、お隣の麻布十番駅まで歩きました。 坂がちで少々歩きにくくはありましたが、都内散歩は楽しいものです。にほんブログ村美術館・ギャラリー ブログランキングへ
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観音

昨日は上野の東京藝術大学美術館に出かけました。 観音の里の祈りと暮らし展を観るためです。 会場は観音、観音、如来、如来、といった趣き。 長浜市の観音や仏像を集めた展覧会です。 長浜はお土地柄、戦乱の絶えた試しがありません。 焼失したお寺やお堂は数知れず。 そのたびに、農民らが仏像を土に埋めたり池に沈めたりして守ってきたそうです。 国宝やら重要文化財やらはほとんどありませんが、農民たちの切ないばかりの祈りや信仰が感じられて、必ずしも文化的価値が高くない仏像群は、深く私の心を打ちました。 一時間ばかりかけて如来や観音像を堪能した後、美術館内にあるホテル・オークラのレストランで昼食。 その後上野公園をそぞろ歩きました。 不忍池では、間近に鵜を観ることが出来ました。 蓮も咲いていました。  ボート遊びを楽しむ善男善女も数多く。  わが国は今のところ平和なようです。 この平和が続くよう、観音に祈りましょうか。にほんブログ村 美術館・ギャラリー ブログランキングへ
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