文学

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能楽

最近、能楽の全集を手に入れ、これをぱらぱらとめくっています。 もとより、私は能楽に関しては数回の鑑賞経験があるだけの、素人です。  日本の古典文学は、美と仏教とが融合したものと思われます。  古くは、美を代表する「源氏物語」や「新古今和歌集」などと、仏教を題材とする「今昔物語集」などに二分されていたように思いますが、能楽の完成に至って、これらは融合されました。 幽玄の美、と称せられる能楽には、たいてい、僧侶ともののけが同時に登場します。言うまでもなく、もののけは、美や、この世ならぬものへの予感、つまり芸術そのものを表し、僧侶は仏教哲学を代表します。これらが互いに主張したり、戦ったり、最後には大団円へと向かうさまは、圧巻です。 能で演奏される音楽も、見事にそれらの融合を表しているように感じられます。 最大の難点は、能面をかぶったりしているため、セリフが著しく聞き取りにくく、眠気を誘うことでしょう。
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少女コレクション序説

昨日、今日と抹香くさい書物を読んだせいか、その抹香の香りを消したくなり、今は亡き澁澤龍彦先生の「少女コレクション序説」を読み返しました。  この秀逸なタイトルを冠した評論集は、数ある澁澤先生の書物のなかでも、もっとも読みやすく、よく出来たものです。表紙及び口絵を飾る四谷シモンの少女人形も美しい。 「エロティシズム」・「エロス的人間」に続く、西洋耽美芸術の評論集の三部作をなす最後の作品です。  私は、これらを初めとする澁澤先生の評論集・小説を、高校生の頃、夢中になって読みました。  後に、私は日本の古典に回帰しますが、私の基をなした、懐かしい作品群です。  全集も出ていますし、文庫でも出ているので、ご一読をお勧めします。  小説では、「高丘親王航海記」がお勧めです。 いずれも、考えず、ただ感じればよい、真なる芸術であって、近代にいたって始まった神経症的芸術の極北をなすものです。少女コレクション序説 (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論新社エロス的人間 (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論新社エロティシズム (中公文庫)澁澤 龍彦中央公論社高丘親王航海記 (文春文庫)澁澤 龍彦文藝春秋
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SM

普段、私たちは何気なくSMという言葉を使っています。サディズムとマゾヒズムの略です。  寝苦しい昨夜、深夜3時に目を覚まし、学生時代に読んだサディズムの祖、サド侯爵の「ソドム百二十日」と、マゾヒズムの祖、マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」を拾い読みしました。  いずれも幻想小説もしくは耽美主義などにちかい文学です。 いわゆる官能小説などとは異なります。  そこに描かれるのは、人間だけが持つ破壊された性衝動の姿と、少数者であるゆえの悲しみです。  サド侯爵は、その思想の強さと描写の過激さのために、獄につながれました。  近年まで、わが国においても文学作品を取り上げて、「芸術かわいせつか」などという馬鹿げた裁判がいくつも行われたのは、じつに悲しいことです。 わが国においては、表現の自由が認められています。  路上で全裸になるなどの行為は論外ですが、それが芸術として描かれたものは、すべて許されるべきです。 芸術として描かれたものとは、人間の真実が描かれているかどうか、という一点で判断すべきで、それが美しいか醜いか、劣情をそそるかどうか、などで判断されるべきものではありません。ソドム百二十日 ...
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蕪村秀句

水原秋桜子の「蕪村秀句」をぱらぱらとめくりました。 私は、与謝蕪村の句を深く敬愛しています。 芭蕉のような求道的な姿勢にも惹かれますが、私自身が怠け者のためか、蕪村のような、遊び心と憂愁を秘めた句により強く惹かれます。 四季のなかから、一つずつ、とくに好む句を選んでみました。 極めて困難でしたが。春 「ゆく春や おもたき琵琶の 抱ごころ」 夏 「牡丹散て 打ち重なりぬ 二三片」 秋 「中々に ひとりあればぞ 月を友」 冬 「うづみ火や 我かくれ家も 雪の中」
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宣伝

5月18日に、このブログで私の作品集「荒ぶる」のことを書きました。 発売から一ヵ月、予想より売れているそうです。  再度、宣伝させていただきます。 インターネット、もしくは書店でご注文いただければ幸いです。 内容は、読んでのお楽しみ。ただし、現在の私の病気のきっかけになったことが表題作になっています。  タイトル 「荒ぶる」 著者名  とびお暢宏 出版社  日本文学館 金額   1,050円(税込み)
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