精神障害

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美酒礼賛

飲んだぞ。飲んだぞ。飲んだぞ。栗焼酎。 栗焼酎はうめえなあ。 わずか三杯のロックで、いい気持ち。 独り酒。最高だね。静かで。 古来、我がくにびとは祭りといわず、葬式といわず、酒を飲んできた。 酒はわが国の食文化に欠かせないものだ。 酒を詠んだ和歌は数知れず。 若山牧水も、高見順も、太宰治も、酒が切れんで死んだ。 しかしその死体。後悔の影は微塵も見られず。 年若くして大往生。 これを幸せという。  しかるに、近頃血液検査などとぬかしおって、γGTPがどうちゃら、脂肪がどうちゃら。しゃらくさい。 医者はぬかした。あと20年で肝硬変です、とかな。 私は今や、齢、40。人生50年というからは、あと二十年ではお釣りがくるというものだ。 もったいない、もったいない。無手無冠(むてむか) ダバダ火振35°【古酒】四万十川大正 720ML ≪高知県≫無手無冠無手無冠
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診察

今日の夕方、診察がありました。 気候の変動による気分の波が激しいことを訴えました。 しかし、精神科医とて、人間。私がこの先どのような精神の転変を繰り返すかなど分かるはずもありますまい。 医師は微笑んで、気分安定剤リーマスの処方を増やしただけでした。 それでも、週に一度、自身の精神を話題にできることは有難いことです。 これがもはや、私の支えになっているともいえます。躁鬱の本
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どうして

私は未熟児で生まれ、放っておけばすぐに死ぬ運命でした。しかし母がスポイトでミルクを飲ませ、私はまっとうに育ちました。体だけ。 私の精神は、物心ついた頃から不安定なものでした。小学校に通うにも、毎日過呼吸のような状況でした。中学生の頃は優等生でしたが、高校に入って手の震えや赤面などの対人恐怖に悩み、それは年齢を重ねるごとに解消していきましたが、心安らぐことはありませんでした。 就職して、数年たつと私は傲慢になり、ある部署ではアルバイトを含めて40人もの部下を自在に操り、天下を取った気分でした。 私は自身を有能なサラリーマンであると信じていました。 ところが、組織改変でうつ病を発症。後に躁鬱病と診断が変わり、現在に至っています。 もはや仕事なんてどうでもよく、ただ楽することしか考えていません。 どうして私がこんなことになってしまったのか、運命を呪います。 今も7種類もの精神病薬を飲み、どうにかこうにか生活しています。  どうして私が? どうして私が? どうして、選りにも選って、この私が?
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嫌です

私には、四つ嫌なことがあります。 一つに、人ごみ。 二つに、登り坂。 三つに、騒音。 四つに、待つこと。 私は車通勤ですので、満員電車は避けられます。人ごみは、あまり経験しなくてもよくなりました。 登り坂が嫌いなのは、平らでアップダウンの無い東京東部で生まれ育ったせいだと思います。山登りなど絶対にしませんし、エレベーターやエスカレーターがあれば、極力階段を使いません。 騒音は、この日本ではなかなか避けがたいことです。商店街でも、喫茶店でも、レストランでも、無用な音楽を流しています。これを騒音と呼ぶのです。私にとっては、テレビもラジオも騒音に過ぎません。流行の歌も、ほとんどは騒音です。 待つことは、5分でも嫌です。電車を待つのも、バスを待つのも、全く我慢なりません。そのため、車を利用することが多くなります。 これらは、6年前の精神病発症前は、ほとんど意識したことがなかったものです。精神疾患の副次的作用で、こらえ性がなくなったように思います。 これらのことを克服しないと、世の中は生きづらいように思います。しかし、様々な精神病薬は、これらを克服してくれません。 やれやれ。
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制定

今月4日の役員会で、やっと「ハラスメント防止規程」が制定されました。 事件発生から2年半、和解から1年半、規程制定の期限から10ヶ月です。 よく辛抱したと思います。 これでやっとすっきりしました。 しかし、加害者の上司は今も何のお咎めもありません。 今年度で任期切れですが、再選される可能性もあります。 あんなものが再選されたら、組織はお終いです。
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