精神障害

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精神障害

どうして

私は未熟児で生まれ、放っておけばすぐに死ぬ運命でした。しかし母がスポイトでミルクを飲ませ、私はまっとうに育ちました。体だけ。 私の精神は、物心ついた頃から不安定なものでした。小学校に通うにも、毎日過呼吸のような状況でした。中学生の頃は優等生でしたが、高校に入って手の震えや赤面などの対人恐怖に悩み、それは年齢を重ねるごとに解消していきましたが、心安らぐことはありませんでした。 就職して、数年たつと私は傲慢になり、ある部署ではアルバイトを含めて40人もの部下を自在に操り、天下を取った気分でした。 私は自身を有能なサラリーマンであると信じていました。 ところが、組織改変でうつ病を発症。後に躁鬱病と診断が変わり、現在に至っています。 もはや仕事なんてどうでもよく、ただ楽することしか考えていません。 どうして私がこんなことになってしまったのか、運命を呪います。 今も7種類もの精神病薬を飲み、どうにかこうにか生活しています。  どうして私が? どうして私が? どうして、選りにも選って、この私が?
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嫌です

私には、四つ嫌なことがあります。 一つに、人ごみ。 二つに、登り坂。 三つに、騒音。 四つに、待つこと。 私は車通勤ですので、満員電車は避けられます。人ごみは、あまり経験しなくてもよくなりました。 登り坂が嫌いなのは、平らでアップダウンの無い東京東部で生まれ育ったせいだと思います。山登りなど絶対にしませんし、エレベーターやエスカレーターがあれば、極力階段を使いません。 騒音は、この日本ではなかなか避けがたいことです。商店街でも、喫茶店でも、レストランでも、無用な音楽を流しています。これを騒音と呼ぶのです。私にとっては、テレビもラジオも騒音に過ぎません。流行の歌も、ほとんどは騒音です。 待つことは、5分でも嫌です。電車を待つのも、バスを待つのも、全く我慢なりません。そのため、車を利用することが多くなります。 これらは、6年前の精神病発症前は、ほとんど意識したことがなかったものです。精神疾患の副次的作用で、こらえ性がなくなったように思います。 これらのことを克服しないと、世の中は生きづらいように思います。しかし、様々な精神病薬は、これらを克服してくれません。 やれやれ。
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制定

今月4日の役員会で、やっと「ハラスメント防止規程」が制定されました。 事件発生から2年半、和解から1年半、規程制定の期限から10ヶ月です。 よく辛抱したと思います。 これでやっとすっきりしました。 しかし、加害者の上司は今も何のお咎めもありません。 今年度で任期切れですが、再選される可能性もあります。 あんなものが再選されたら、組織はお終いです。
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自尊心

私はこれまで、強い、あまりにも強い自尊心を持って、生きてきました。だからこそ、組織のトップを相手どって、弁護士をたてて私を侮辱したことを責め、100万円の解決金と、謝罪文を勝ち取ったのです。 しかし、揺ぎ無いはずの私の自尊心は、今や揺らいでいます。 私は何をもって生きるのか、わかりません。 ただ生きることに、十分価値があると、精神科医は言います。 私は、ただ死なないことに、価値を見出せません。 つまらないことこの上ない仕事をし、生きていくのに精一杯の糧を得る。 家に帰れば、わずかの酒を飲んで気持ちを静める。 こんなことを、もう十八年も続けました。 もういいんじゃないか、と思います。 私は十分に生きた。これ以上生きたところで、どうなるものでもありません。 100まで生きても、40で死んでも、大きな宇宙の動きから考えれば、どうということもありません。 全てを終わりにして、最終解決を図りたい、という欲求を、抑えられません。
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またもや

パワーハラスメント防止規程の話です。 相変わらず何の説明ももらえません。 仕方なく、管理職に問い合わせました。 すると、6月1日に規程を制定する権限がある会議を行ったが、議論百出して何も決まらなかった、とのことでした。 合意書を交わしてから1年半、規程制定の期限から9ヶ月がすぎてしまいました。 加害者からの直接の謝罪もありません。 解決金100万円と、謝罪します、という紙切れが自宅に送られてきただけです。 もういい加減この事件のことは忘れたいのですが、なかなか完全解決をみません。最近そのことが気になって仕方ありません。これがストレスになって、また病状が悪化するのではないかと心配です。 あるいは、私の病状を悪化させようとして、わざと制定しないんじゃないかと、勘繰りたくもなります。 早くもやもやから解放されたいものです。
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