思想・学問

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永久機関

この世には存在し得ないとされる永久機関。 本来は何のエネルギーも必要とせず、自ら永久に働き続ける機械を意味する言葉です。 これが存在し得ないことは多くの科学者が必死になって研究を続けた結果、18世紀末には分かっていたことでした。 その後永久機関という概念はオカルト的な意味を持つようになり、ムー大陸などと並んでいかがわしいものとされるようになりました。 私はそういった意味の他に、私たちが働く職場を永久機関のように感じてしまいます。 職場と言っても巨大組織に限りません。 仕事と言ったほうがよいかもしれません。 蕎麦屋は毎日蕎麦を打ち、野球選手は毎日白球を追い続けます。 そして私たち事務職は今日もパソコンに向かって事務仕事を続けます。 これを何世代にも渡って続けるのは、人というエネルギーですが、そのエネルギーが何者であるかは誰にも分からず、ただ金が欲しいのか自己実現を図りたいのか、意味も分からず働きます。 圧倒的多数の人は生活を維持せしめるため、嫌々毎日同じようなことをしています。 このことが、仕事を永久機関のように見せているのかもしれません。 私は夢想します。 これらのすべてを止めてしまい...
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神秘主義

臨死体験をすると多かれ少なかれ死生観が変わると言います。  私の知り合いに、交通事故にあい、二か月も生死の境を彷徨よった者がいます。  幽体離脱を経験し、強烈な光の中お花畑を通り、三途の川にいたってご先祖様からまだ川を渡る時ではないと諭され、気付いたら病床で意識を取り戻したというのです。 典型的な臨死体験ですね。 あまり語る人はいませんが、バッド臨死体験というのもあるようです。 地獄に落とされそうになって戻ってくる悪夢のような経験で、これも死生観を変容させ、善人になるべく努力を始めるとか。 誰でも地獄には落ちたくないですから。 臨死体験をして生還した私の知り合い、神秘主義の哲学者になって、大学教授におさまってしまいました。 何が幸いするか分かりません。 およそアカデミズムの世界とはかけ離れた、アカシック・レコード(宇宙の全歴史を記した記憶媒体)は存在するのか、存在するとして、アクセスする方法はあるのか、とか、宇宙の成り立ちをルドルフ・シュタイナーの神秘主義思想に依って解明しようとか、宗教を問わず、神や仏の存在を証明しようとか、何が専門か分からない研究をしています。 つまらぬ事務仕事に明...
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日曜日

何をするでもなく、静かな日曜日を過ごしました。 本も読まず、テレビも観ず、横になって、一日中、うつらうつらと過ごしました。 疲れていたんでしょうか。 すると、奇妙な夢を見ました。 とてつもなく快適で丸いドームに横たわった私は、高く飛翔し、ついには宇宙に達するのです。 私は宇宙の遍在となり、ついには神の領域に達します。 私こそは遍在となるのです。 そこで、目が覚めました。 何者でもない木っ端役人でしかない私が遍在となることは、不思議なことではありません。 誰もが遍在足り得るし、あるいは全ての生き物が遍在なのかもしれません。 静かな日曜日、私は神に近づいたのです。
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20世紀全記録

私が学生の頃、20世紀全記録という本が出版されました。 20世紀が終わる10年ほど前に出版されたので、厳密に言えば全記録ではありません。 しかし、この本には確かに20世紀の香りがふんだんに漂っており、私を魅了しました。 てっきり2001年を迎えたら完全版が出るのかと思ったら出ませんでした 残念です。 写真がふんだんに使われており、この本で20年代の禁酒法の時代やヒトラー率いるスタイリッシュなナチの姿に見入ったものです。  そして、ナチの敗北、我が大日本帝國の敗北。 戦後の我が国の平和と対照的な、ベトナム戦争や中東戦争。 平和と混乱が一体となっているのがこの世界だと思います。 人間が争いを止めるのは人間が人間ではない生物に進化(もしくは退化)した時でしょうね。今の人間が人間でいるかぎり、紛争が止むことは無いでしょう。20世紀全記録/講談社 編
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思考の整理学

昨夜は「思考の整理学」と言う本を読みました。 なんでも東大、京大の学生に最も読まれた本だそうです。 だからといって小難しい書物ではありません。 むしろ軽い読み物と言った感じです。 著者曰く、朝飯前というのは簡単な仕事というわけではなく、朝飯前が最も頭が働く時間帯で、だからこそ朝飯の前は難しい問題でも解決が容易だと言います。 で、朝飯前の時間を長くするにはどうすれば良いかというと、早起きするのではなく、朝飯を抜いてしまえば良いのだとか。 そうすれば朝飯前の時間が長くなって仕事がはかどる、なんてヘソの曲がったことが書いたりしてあって飽きさせません。 しかし悲しいかな1983年に出版されたそうで、現代の整理とは異なっています。 すなわち、ノート、カード、スクラップブックなどでの整理法が紹介されているのです。 1983年と言えば、コンピューターは専門家の間で使われる物で、一般的に使用される物ではありませんでした。 現代で整理と言えば、エクセルやワード等に入力して保存するか、あるいは紙であってもPDF化してデータにするのが一般的です。 データにすれば検索もかけられるし、そもそも紛失するということ...
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