思想・学問

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争いごと

にわかに北朝鮮情勢が不穏になり、私は古人の知恵に学ぶべく、「平家物語」なんぞをひもときました。 かつては琵琶法師が語って聞かせる口伝であったというごとく、七五調の、わかりやすい物語になっています。 盛者必衰がこの世の常であるならば、永遠に続く政権などあり得ようはずもなく、独裁政権においては余計そうでしょう。 古く、人間は争いを続け、絶えることはわずか数百年しかありませんでした。 人の群れが敵対する群れと殺し合うこと、これは私たち人間の本能であるかのごとくです。 冷静に考えれば、誠に馬鹿げた行為ですが、一つ一つの争いごとを見ていくと、引くに引けない、進むに進めない、八方ふさがりのような状態になると、人は死を覚悟して戦うことを選択するようです。 これは今も昔も変わらない、人間の普遍的な思考方法であるように思います。 そのような人間が本質的に持っている好戦的な資質を認めた上で、ではどうやって平和を維持するか、という時に、冷戦というのは実にうまく機能しました。 つまり地球が滅んでしまう、という恐怖の共有による平和ですね。 これは下品な策ですが、我々人間の本能に訴える力があったように思います。 ...
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坂の上の雲

昨夜はNHKで「坂の上の雲」第3部を放送していました。 ちょうど日露戦争の頃。 旅順要塞の攻略に苦労していましたね。 旅順要塞といえば、明治36年の今日、日本軍の勝利によって陥落したと記憶しています。 いずれにしてもわが国の近代化を象徴する戦争ではありました。 しかし私は「坂の上の雲」を読んでいません。 司馬史観というものに、胡散臭さを感じるからです。 明治時代を合理精神に溢れた明るい時代とし、昭和以降敗戦までを暗黒時代と捉える、あの考えです。 常識的に考えて、日本人がわすか数十年の間に突然合理的近代人から暗黒のファシスト集団になるとはおかしな理屈です。 平たく言えば、明治期に戦った戦争はわが国の勝利ばかりで、昭和に入ってからのそれは大敗北に終わった、その結果だけを見て明治を美化する愚かな考えだと思います。 勝負は時の運。 勝てる戦争に負けることもあれば、勝てるはずのない戦争に勝っちゃうこともあります。 勝敗結果のみをみて、その時戦った人々をあんまり持ちあげたり貶したりすべきではありません。 昭和陛下が昭和50年の訪米時、米国の記者に戦前と戦後で日本人はどう変化したかを問われ、「何も変...
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Japan: Tradition. Innovation. 伝統と革新の国

カナダ文明博物館において、今年の5月20日から10月20日までの半年間、Japan: Tradition. Innovation.(伝統と革新の国)という企画展示が開かれたそうです。 私の知り合いがこの展示を観に行ったそうで、外国人から見た日本の姿を日本人が見るという、貴重な体験ができたようです。 上の写真はその時のものだそうで、折紙のヒーローでしょうか。 こちらは和風な装飾を施した携帯電話ですね。 古くは刀の柄や火縄銃に美しい装飾を施したり、最近ではデコメとか携帯ストラップとか、実用品に過剰な装飾を施すことをわが国民は好みますね。 お箸やお茶碗を、家族それぞれ、これが自分専用、と決めて好みの装飾を施した物を使うのはわが国独特だそうです。 西洋のお皿やフォークはどれも一緒ですもんねぇ。 企画展示では、江戸時代の日本と現代の日本を比較しながら展示し、伝統を守りつつ新しい技術や思想を受容していくわが国柄を提示し、なかなか盛況だったようです。 日本人が何とも思わなかったものが観光資源になったりもしています。 築地市場のマグロの競りとか渋谷109前のスクランブル交差点とか。 信じられないぐらい...
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新嘗祭(勤労感謝の日)

明後日、勤労感謝の日はもともと新嘗祭。 新嘗祭とは、新米をはじめとする秋の収穫物を神々に捧げるとともに、天皇陛下自らがそれを食し、秋の収穫を祝う、宮中の行事であり言わば収穫祭です。 それが戦後、勤労感謝の日と名前を変え、続いてきました。 かつて勤労といえば農業。 わが国の農耕民族としての面目を保つお祭りです。 籾すりの 新嘗祭を 知らぬかな  正岡子規 ユーモラスな句ですねぇ。 新米の籾をする籾摺り機にとっては、新嘗祭など知ったことではないのです。 新米に 菊の香もあれ 小六月  正岡子規 小六月とは、新嘗祭の頃の小春日和の別称。 旧暦六月は新暦では五月の半ば。 秋も深まった頃、ふと訪れる五月のような爽やかで暖かい日を詠んでいます。 菊は秋の花。 五月のような爽やかな日に、秋の花たる菊の香りが漂っているという、季節の倒錯を感じさせますね。 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめの姿 しばしととめむ 百人一首にも選ばれた僧正遍昭の有名な歌です。 新嘗祭の最後に行われる豊明節会(とよあかりのせちえ)を歌ったもので、宴会の席で天女が降りてきて舞を舞う、その天女の舞にうっとりと見惚れる作者の姿...
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インスタント・セックス

先ほどNHKの番組で、インスタント・セックスに走る若者の心の闇についての特集番組を放送していました。 インスタント・セックスとは、主に少女が、親から虐待を受けたりして家庭に居場所がなくなり、家出して泊まるところを得るためにセックスするとか、あるいは社会人の女が寂しさを埋めるために8人ものセックス・フレンドをもって性交と引き換えにわずかな時間恋人気分を味わうとかいうことのようです。 これは現代の問題でしょうか? 私はそうは思いません。 はるか昔から、人はそうやって大した愛情もないままに体の関係を持ち、結果として子が産まれ、繁栄してきました。 今、若者と言われる世代の祖父母にあたるような年代の、団塊と言われる世代の人々の若いころを思い返してみればよいでしょう。 当時の若者たちはフリー・セックスやドラッグ、政治運動に血道をあげていました。 孫にあたる現代の若者たちがクラブに通い、インスタント・セックスに耽っているなんて、可愛いものです。 女性の性欲はよくわかりませんが、男性は十代の終わりから二十代初めにかけて、狂的かつ獣的な性欲に襲われます。 それはおそらく、最も活きの良い世代の精子を使って...
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