
江戸っ子の酒
時代劇なんかを見ていると、そう裕福でもなさそうな下級役人や町人が、昼間っから蕎麦屋や一膳飯屋で一杯やっているところを見かけます。 ぜんたいに江戸っ子というのは仕事が嫌いで、大店の若旦那など、和歌を詠んだり吉原に繰り出したりして身上をつぶし、 売家と 唐様で書く 三代目などという川柳も作られたほどです。 つまり、金がなくて家を売るにも、唐様つまり中国風で看板を書くということで、教養があったということでしょう。 商家などに奉公に出ても、江戸っ子は手を抜くことばかり考えて働かず、番頭になって取りたてられ、のれん分けを許されるのは専ら田舎から出てきた貧乏なのせがれだったと言われています。 その江戸っ子、江戸時代末期には100万樽もの酒を一年間で消費していたというから驚きます。 きっと田舎の水呑み百姓にとっては、酒なんて夏祭りの時と正月くらいしか飲めない貴重品だったでしょうに。 江戸の人口は100万人くらいと言われています。 中には下戸もいたでしょうし、武家の女は酒を飲まなかったでしょうし、子どもも当然飲みませんから、単純に考えて50万人くらいで年間100万樽を飲んでいたくらいの計算になりましょ...