思想・学問

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軽薄な知

今日の某新聞に、新保祐司なる文芸評論家にして某大学の教授が、戦後民主主義に始まり、ポスト・モダン、ニューアカデミズムなどを経て現在の新書ブームにいたる知の営みを軽薄と断じ、古典回帰を説いていました。 そのことに異議はないのですが、震災によって知のバベルの塔が崩壊し、軽薄な知は終わりを告げるかのような論を進めており、それはいかにもこじつけというか、強引というか、思わずお気は確か、とうなってしまいました。 震災によって学問やら知の営みやらが根本的にその意義を問われるということは無いと思うんですがねぇ。 なんでもかんでも震災に結びつけて論じたがるその態度こそが、先生おっしゃる軽薄な知ではないでしょうか。 古典回帰なんて100年も前から言い古された文学者のたわごと。 学者で飯を食っているのならともかく、圧倒的多数の新聞読者は好きなものを読めばよいし、読みたくなければ何も読まなければよろしい。 大学の講義でお説教垂れているみたいな軽薄な論、いかにも不愉快です。 現在もてはやされている文学や評論が500年、1000年と読み継がれる将来の古典足りうるのかなんて、現代を生きる私たちには誰にもわかりませ...
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麻原回帰

近頃では、テロ集団というと、イスラム過激派の専売特許の感がありますが、わが国にも怖ろしいテロを起こした集団が今も健在なのですよねぇ。 オウム真理教は麻原彰晃の逮捕を受け、彼を教祖ではなく、元代表だとしてテロに結びついたタントラヴァジラナーヤやポアの思想を封印、麻原彰晃の写真や偶像を崇拝することを止めて、穏便な宗教団体として生き残りを図りました。 オウム真理教の崩壊と新団体アレフの誕生です。 しかし、脱麻原路線を推し進めていた上祐が権力闘争に敗れてアレフを脱会、ひかりの輪を立ち上げます。 これに先立って、もっとも過激な麻原崇拝の信者たちがアレフの路線を不満としてオウム時代そのままのスタイルを採るケロヨンクラブが成立しています。 人数が多い穏健だが麻原の教えを捨てないアレフ、麻原の教えを否定するひかりの輪、麻原の教えを忠実に守る原理主義のケロヨンクラブ。 この三つの団体が、同じ傾向を最近見せるようになったそうです。 すなわち、麻原回帰。 アレフでは事件後使用していなかったヘッドギアを着けた信者の姿が見られるようになり、麻原の説法ビデオやテープが大音量で流されるようになったとか。 また、ケロ...
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ハッブル宇宙望遠鏡

ハッブル宇宙望遠鏡といえば、地球の周りの回りながらはるか彼方、宇宙の先を見つめ続けるロマンティックな望遠鏡です。 打ち上げてもう20年。 当初は15年の寿命を見込んでいたと言いますが、スペースシャトルなどによって修理を重ね、今もなお現役です。 この望遠鏡が撮影した美しい写真が公表されました。 地球から3億光年も先、アンドロメダ座の方にある渦巻型の、花のような銀河です。 しかしこの姿は、3億年前のものなのでしょうか。 とてもそうは思えませんね。  この美しい銀河の中に、知的生命体が存在するとしたら、私たち地球人をどう思うでしょうね。 接触を拒むかもしれません。 なにしろ私たちは争いごとが大好きですから。 あるいは青く輝く美しい星に、巨大な望遠鏡を覗いては、魅せられているかもしれません。 それならなおさら、接触しないほうがよいでしょう。 彼らの幻想を壊してしまいますから。 それとも、そこに生息するのは、古典的なSF作品にみられる野蛮で凶暴なタコ型の生き物かもしれません。 それならこっちから願い下げです。 いずれにしても、私にはこの巨大な銀河に生物がいないということは信じられません。 菌類の...
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往生

このたびの震災では、多くの人々が亡くなられました。 痛ましいかぎりです。 仏教、わけても浄土宗や浄土真宗では、念仏修行によって極楽往生できると説きます。 臨終の折には、極楽浄土から清らかな人が蓮の花に乗って迎えにきてくれるとか。 そうだとしたら、東北地方から関東地方にかけて多くの蓮の花が迎えに着たことでしょう。 源信は「往生要集」に極楽往生の十の楽しみの一つに、このお迎えを挙げています。  関係ありませんが、私の職場では定年退職を迎えることをご赦免舟が迎えに来た、と言います。 それは絶望的なまでに長いサラリーマン生活に終わりを告げる嬉しいお迎えという感じを実感させる洒落た表現です。 源信は最大の楽しみを、極楽浄土で仏と合一することとしています。 もし本当に極楽往生でき、仏と合一できるのなら、死は楽しみであるはずですが、多くの人にとって死は未知であり、恐怖の対象です。  その恐怖を和らげるための方便が、極楽往生や天国を説く様々な教えだとしたら、ずいぶんひどい詐欺だとしか言いようがありません。 源信の臨終は、阿弥陀仏の手から五色の糸がでて、その糸を手に取りながら眠るように逝ったそうです。 ...
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子供の脳死

国内で初めて、15歳未満の子供の脳死が認められ、遺族の意思により、臓器が提供されることになりました。 遺族が言うには、息子は臓器移植を拒否するような意思表示はしていなかった、と頼りないことを言っています。 つまりはほぼ100%遺族の意思だということでしょう。 脳死が死と認められ、死んだけど生きている臓器を、臓器移植を望む患者に移植して患者の寿命を一定程度伸ばす。 このことに私は非常な違和感を覚えます。 脳死が人の死であることは、欧米諸国では当たり前になっているとか。 しかしわが国では、人の死をもっとゆるやかにとらえています。 息が止まって冷たくなっても、48日間はこの世とあの世の境目、中有の闇を彷徨っているとか。 脳が機能を停止したからといって、その体を切り刻むのはいかにも残酷です。 一方で、移植によって生きられる命があるのもまた事実。 命をめぐって損得勘定が始まります。 いやですねぇ。 誰かが死んだら自分が助かるなんてねぇ。 だから私は、臓器を提供しない、という意思を明確にしたカードを常に持ち歩いています。 閻魔さまの前に出て、「おめぇ、なんで心臓ないんだ?」なんて言われたくありませ...
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