思想・学問

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死への存在

北朝鮮が韓国の島を砲撃しましたね。 二名の死者が出たとか。 金王朝はやりたい放題。 第二次朝鮮戦争に発展しなければよいのですが。  そこで、死ということを考えてみたいと思います。 生物はいずれ死ぬ運命にあるわけですが、人間だけが死を認識し、恐れます。 その恐怖を和らげようとしたのか、キリスト教やイスラム教では最後の審判で人間は生き返り、天国へ行けると説きました。 仏教でも、極楽往生とか、輪廻転生とかを説いて、死は全ての終わりではない、と説明しています。 神道では、イザナギが死んだイザナミに会いたくて黄泉の国に行く神話が描かれ、あの世とこの世が地続きになっています。 しかし近代に至って、死は絶対的な終わりであり、虚無であるとする考えが支配的になってきました。 そうなると、宗教が教える死後存在ははかないものになってしまいます。 ハイデガーは、「存在と時間」で、人間を死への存在と規定しました。 死にゆく存在という意味ではなく、いつも死を意識せざるを得ない存在という意味です。 青春を謳歌する生そのもののような光り輝く少年少女たちでさえ、死を考えたことがない、という者はごく少数でしょう。 人間は...
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過ちて改めず

近頃法務大臣が二つのフレーズで国会答弁を乗り切ってきただの、官房長官が自衛隊は暴力装置と言っただの、事業仕分けは民主党の内紛の場になってしまっただの、幹事長代理にいたっては政治主導と言ったのはうかつだっただの、政権末期の断末魔の叫びのような様相を呈してきましたね。 菅総理は安全運転を心掛け、失言は少ないようですが、民主党政権が誕生して一年ちょっと、もうこの政権ではダメなんではないの、という気が日増しに強まってきました。 子曰く、其の身正しければ、令せずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従われず。 論語子路に見られる言葉です。 政治的リーダーは行いを正しくすれば命令を下さなくても自然に政治が行われる、行いが正しくなければ、命令を下しても人はついてこない、というほどの意味かと思います。 今の民主党の幹部諸氏の行いが正しいかどうかは疑問ですね。 少なくとも、民主党が掛け声をかけても、国民はついていかないんじゃないでしょうか。 無駄を削って財源を生み出すと言っていましたが、それは不可能な状況だし、目玉政策もぶれにぶれまくっています。 長妻議員が厚生労働大臣のときに通した予算を、今度は...
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老ける

年齢に対する認知というのが、時代とともにずいぶん変化してきているように思います。 「敦盛」では、人間五十年と謡われます。 五十が寿命としたら、40代はもう老人。 昭和初期の雑誌に40代後半の谷崎潤一郎のことを谷崎翁と記していて、びっくりしたことがあります。 近頃では、アラフォーなどと言って、40歳はまだまだ若い、という風潮です。 しかし世界で最も貧しい国の一つとされるシエラレオネでは、平均寿命はわずか42歳だそうです。 学生の頃は、4月が来れば学年が一つ上がり、小学校から中学校、高校、大学とそれは続き、自己の年齢に対する違和感はありません。 しかし社会人になると、個人差が出てきます。 好きな仕事をしてストレスの少ない人は若々しく、食うために嫌いな仕事を必死で続ければ、老けこむのも早いでしょう。 また、好きな仕事でも、漫画家や力士などの過酷な労働環境にあっては、平均寿命を維持するのは困難です。 社会人は部下を持ったり、役職が付いたりすると、そういう年になったんだなあ、と実感します。 結婚したり子どもができたり、また自分の子どもが結婚したりすれば、いやでもおのれの年齢を感じるでしょう。 し...
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エロティシズムと色道

日々、寒くなってきます。 寒くなると、熱燗がうまいですね。 寒い季節は酒が三割方よけいにうまくなります。 そして、寒い季節、おこたにあたっていると、人肌恋しくなってきますね。 性欲というのは元来子孫繁栄の生殖行動に直結するもののはずですが、我々人間はもうちょっとややこしいことになっていますね。 例えば自慰行為は何も生み出しませんし、同性愛もしかり。 避妊具を使えば男女間のセックスも生殖ではありません。 なぜ生殖に結びつかない性愛に人は一所懸命になるのでしょうね。 エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える。 バタイユの「エロティシズム」に見られる言葉です。 また、禁止を犯すことがエロティシズムだとか、犯されるために禁止があるとかめんどくさいことを並べています。 どうもキリスト教文明圏の人々は性愛の分野になると、ややこしいことを言い出す傾向があるように思います。 それに比べて、わが国では面倒なことは言いません。 江戸時代に書かれた「色道大鏡」に見られる記述は、遊郭のしきたり、遊女の番付、遊郭での笑い話などばかりで、色ということを突き詰めようとはしません。 また、同じ江戸期...
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大正期

大正期、日本では結婚相手を決めるのは親でした。 しかしそこに、うまい装置が働いていたことを知りました。 男の結婚平均年齢が27歳、女が23歳だというのですが、結婚式を挙げたときの平均は男が25歳、女が21歳と、結婚年齢よりも2年も早いのです。 つまり、今北欧などでみられるお試し婚が行われていたというのです。 スウェーデンではお試し婚をサムボと呼び、法律的に保護され、圧倒的多数のカップルは1年程度のサムボを経て、お互いのことをよく知ったうえで婚姻届を出すそうです。 これはもちろん、相性や生活ぶりを見極めるためです。 一方日本でかつて行われていたお試し期間は、妊娠能力があるか、農作業などの重労働に耐えれるか、夫や舅、姑に従順か、などを夫の側から妻として不足がないかを見定めるためのものであったようです。 当時の人々はこれを足入れ婚と呼んだそうです。 妻のほうから正式な結婚を拒絶することは難しかったでしょうから、言わば妻としての使用価値があるかどうかを見るもので、夫側に都合よくできていますね。 大正元年が1912年、今年が2010年ですから、約100年前のことです。 そんなに大昔ではありません...
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