
両性具有
先日、縁ある人の葬儀に参列しました。 齢94の大往生。 葬儀に湿っぽい雰囲気はなく、むしろおめでたい感じでした。 そこで思ったことは、日本国憲法が高らかに宣言した男女平等の原理は、今だに建前に過ぎないのだな、ということです。 喪主は長男。彼には姉がいますが、姉は喪主になりません。 宴席では、年長の男が上座に座り、年齢順に男が座り、老婆でも一番若い成人男性より下座です。 久しぶりに見た、家父長制の残滓とでもいうべき光景。 私はむしろ、新鮮な驚きを感じました。 人間は不平等なもの。 性差別や部落差別、障害者差別が完全になくなっても、生まれた家が金持ちか貧乏か、両親が円満か不仲か、健康に生まれるか虚弱に生まれるか、頭脳明晰に生まれるか知能低く生まれるか、など、どちらが幸せかは別にして、生来の不平等は如何ともなしがたいものです。 だからこそ、社会制度としての差別はなんとしてでも解消しなければなりません。 その中でも古来、多くの民族で等しく見られるのが、男女差別です。 戦後、少なくとも公の場では、男女差別は無いことになりました。 家父長制から平等主義へ、大きく舵を切ることになりました。 しかし...