思想・学問

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男の愚挙

主に男が犯す愚の一つに、思想や大義のために過激な行動をとることがありますね。 現代で言えばイスラム過激派などの宗教組織によるテロ。 二十五年前には、左翼過激派によって当時の国鉄浅草橋駅が焼かれ、私が通っていた高校は臨時休校になり、高校生だった私は不謹慎にも喜びました。  ナチや共産主義、日本の軍国主義なども、思想や大義のために愚挙にでました。 さかのぼって、西南戦争などの不平士族の反乱は、武士の命ともいえる刀を取り上げられることへの精神的苦痛の表明でもあったことでしょう。 明治九年、西南戦争の前年ですが、神風連の乱が熊本で起きました。 政府軍を急襲し、損害を与えましたが、戦いは呆気なく終わり、神風連の士族たちは多くは戦死または自刃しました。 神風連は、宇気比(うけい)と呼ばれる儀式によって神託を聞き、忠実にそれに従った、と言います。 どんなに有利な条件でも、神託が不可であれば決行を思いとどまり、またどんなに危険な状況であっても神託が可であれば、断然これを決行した、とのことです。 神風連の士族が狂信的に神道を信じ、その神託が絶対であったかどうか、今となってはわかりません。 しかし、いくら...
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ここ30年ばかりの愚かな流行歌の盛況ぶりに嫌気がさしているのは私ばかりではありますまい。 特に聞き苦しいのは男女間の恋を表わすのに、愛という言葉を多用することです。 もともと愛は贈り物をする、という意味で、転じて、相手を慈しむとか、ある物事に執着する、とかいう意味になったものです。 日本では長く、親子や兄弟間、もしくは広く生命全般に対して使われる言葉でした。 西郷隆盛の敬天愛人などは、特定の人を愛するのではなく、人類全体を愛するという意味ですね。 仏教では、愛欲などといって、愛は執着を表わす言葉で、否定的に使われていました。 男女間の場合は、恋もしくは色と言ったものです。 明治初期、北村透谷あたりが、欧米で流行り始めた男女間の純愛という思想にとびついて、恋愛至上主義的な言説を弄して当時の少年少女を惑わせたのが、愛という言葉の倒錯的な用い方の始まりでしょう。 あまたいる異性の一人だけに対して愛という言葉を用いるのは、あまりに排他的で、本来の用法から逸脱しています。 そうは言っても、言葉は時代とともに変化していくもの。現在のような用法はあまりにも広く行われ、国語辞典にも変化後の旨が記載され...
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H.G.ウェルズと退廃

子どもの頃、H.G.ウェルズのSF小説をよく読みました。 「タイム・マシン」、「透明人間」、「モロー博士の島」等々。 いずれも優れたエンターテイメントであり、19世紀末の社会を風刺する文明批評でもありました。 これらの小説と退廃を結び付けて論じた論文を読みました。 太田省一という社会学者による論文で、タイトルは「退廃・獣人・嫌悪」といいます。 ダーウィンの進化論を援用して、生物は一方向に向かって進化していくのではなく、むやみに多くの変種を生み、たまたま自然に適応した種だけが生き残るので、人類は進化でも退化でもない状態=退廃の状態に置かれる、と人間の状況を定義付けます。 「タイム・マシン」では80万年後の、労働から解放されたユートピアのような世界に住む、優雅で温和なエロイと出会い、彼らの生活に主人公は安堵します。しかし、それは地下で労働をもっぱらにする獣人モ―ロックによって支えられていることを知ります。さらに恐怖すべき発見をします。モーロックの食糧はエロイなのです。 主人公はさらに未来へと進み、もはや人類の末裔は見つかりません。 それでも、主人公は未来へと進みます。 19世紀末に戻り、主...
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宇宙樹

地球が丸くて、しかも宇宙の片田舎にある太陽の周りをぐるぐる回っている、とする事実を突き付けられたとき、当時のヨーロッパの人々はひどく動揺したようです。 それはそうでしょう。地球は宇宙の中心にあって、地球の周りを他の星が回っていると考えていたのですから。 宇宙の中心にある星に君臨する人間は、神様に似せて作られた立派な生き物のはずでした。 それがその他大勢になってしまったわけです。 学芸会でお姫様役のつもりだったのに、どっちを向いてもお姫様で、誰も世話する役がいなかったようなものです。 かくして、地球及び人間は、自らの力で孤独に生きる運命を思い知らされました。 古代、北欧では、巨大な木が世界を構成していると考えられていました。その名称は、宇宙樹とも、世界樹とも。 下の絵が、北欧で考えられた世界です。  イスラム教にも、天上に通じる巨木に対する信仰が見られます。 わが国においても、杉の木や楠などの巨木にしめ縄を張って、ご神体としてお祀りしますね。 木だけでなく、古くはバベルの塔やピラミッド、現代ではドヴァイ・タワーや建設中の東京スカイツリーなど、人間は天上へ天上へと志向していきます。 天上に...
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閨房哲学

サド侯爵の作品は、文字通りサディズムに溢れており、ときにそれは滑稽なほどですが、話の合間に、登場人物たちによる長い哲学的な会話が交わされることを特徴とします。 その特徴は、まずアンチ・キリスト、それに死後の不存在、さらに快楽至上主義、また人間の法より自然の掟、といったところでしょうか。 「閨房哲学」はサド思想を知るうえでもっとも平易な作品ですが、そこで殺人を正当化する理屈が語られます。 自然にとって、人間の命も動物や虫の命も等価値なはずで、人間が牛や豚を殺すのと殺人を犯すことは、どちらも残虐非道な犯罪か、あるいはどちらも取るに足らないことでしかない。人間は他の生物を殺害しなければならない宿命を負っており、牛や豚を殺すことは取るに足りないことだ。したがって殺人も取るに足りないことだ、というわけです。 屁理屈みたいなものではありますが、幼児に「どうして人を殺しちゃいけないの?」と問われると、なかなかうまく答えられないのではないでしょうか。  例えば絶対に捕まらないという保証があり、殺せば莫大な金が手に入る、という状況で、眠っている老い先短い老人を前に出刃包丁を持っていたとしたら、どうするで...
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