思想・学問

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ネズミ算

日々小説や映画などの物語に接して、ぼんやりとした不思議を感じます。 例えば1000年前の「源氏物語」を読んでいて、私は私の「源氏物語」を再編成しているわけですが、これがあらゆる物語の享受者によって同時並行的に行われるということは、驚愕すべき事態です。  作者はAという物語を作り上げます。そしてそのAは、作者にとって一種の自己弁護に過ぎません。 作者が面白い、もしくは美しい、あるいは正しい、と思う、作者にとっての良い物を自慰のように垂れ流すのです。 そしてAを鑑賞するものは、Aを元にして、Aとよく似た、しかしAとは違うA´を作り上げます。 仮にAを100人の人が鑑賞したなら、100のAのような物語が生まれるわけです。 これが同時に、しかも時代を超えて行われるわけですから、Aによって無限の物語が生まれ、拡大再生産を続けることになります。 それが外国の作品であれば翻訳によって、また古典であれば現代語訳によって、また、舞台化や映画化によって、Aのヴァリエーションはもはや収拾不可能なパラレルワールドを生み出します。 まるでネズミ算のようです。 物語が人の数だけ拡がっていく様を、芥川龍之介は「藪の...
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犀の角 

私のまわりでは、結婚するよ、という友人・知人からの知らせより、離婚しました、という報告のほうが多くなってきました。 私の年齢が上がって、これから結婚する友人より、すでに結婚した友人が多いからかもしれませんが、せっかく縁あって一緒になったものをもったいない、という思いと、嫌なら一分でも早く分かれたほうがよい、という思いとが、交錯します。 以前、ヘレン・フィッシャーという人類学者が、「愛はなぜ終わるのか」という著書で、恋愛の寿命は四年だ、という説を唱えて、世の浮気者を喜ばせました。 もしかしたら本能的にはそうなのかもしれませんが、人間と人間の付き合いが、四年で終わるわけもなく、焼ぼっくいに火がつくなんて言葉があるとおり、それが男と女であれ、同性同士であれ、複雑な人間関係は長々と続くのが当然です。 そうでなければ、添い遂げる夫婦があまたいるという事実が腑に落ちません。 ただ、社会が離婚に寛容になったことはたしかでしょう。  「ニューヨークの恋人」という映画で、19世紀からタイムスリップしてきた青年貴族が、現代のニューヨーカーを演じるメグ・ライアンに自由恋愛について大真面目に力説し、吹き出され...
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異性装

最近、男性用ブラジャーというのが発売され、けっこう売れているらしいですね。 女装や男装など、実際の性と異なる衣装を身につけることは、古くからおこなわれてきました。 白拍子が男装をして踊ったり、古代ギリシアでヘラクレスに仕える神官(男)は女装していました。 農家の田植え祭りなどで13から15歳の少年に女装させることは広く日本各地で見られます。 また、舞台芸術の分野では、歌舞伎や能で男が女装して女を演じます。 宝塚はその逆ですね。 映画「1999年の夏休み」では、登場人物の少年すべてを少女が演じ、カルト的な人気を誇っています。 このような、異性装への嗜好は、どこからきているのでしょうね。 文学の世界では「とりかへばや物語」というのが最も直接的ですね。男らしい女児と女っぽい男児の二人を取り替えて育てる話です。 また、男の作家が女目線で小説を書いたり、女流作家が男を主人公として書いたり、ということはよく行われます。 一種の変身願望と見るべきか、あるいは性を超えた神秘的な存在へのあこがれなのか、よくわかりません。 私も幼少の頃、母親の口紅を塗って遊んだりしたことがあります。女の子の格好をしたいと...
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キリスト者

本堂の ツリーまばゆい 保育園  都合よく 神と仏を およびして 上のような川柳が生まれるように、わが国民は宗教に対して誠に寛容。 八百万もの神様がおられる国ですから、三世の諸仏が入ってこようとアッラーの神が入ってこようと、どうってことありません。 八百万という神々だって、だいたいそのぐらい、という程度の意味ですから、実際に何柱になるのか、さっぱりわかりません。  そのような宗教的バックボーンを持つわが国で、キリスト者として生きるのは大変困難なことだろうと思います。 キリスト者は、日本という多神教的もしくは無神論的社会のなかで、聖書の教えに従って、永遠の汝=神との関係性を第一として生きなければなりません。 精神的にそのことが可能であったとしても、教会は現実に存在する組織です。これを維持し、布教を続けるには、先立つものが必要です。 而してキリスト者は、異教の社会で、聖書に忠実に、しかも金を儲けなければいけないのです。なんという苦難。 キリスト者たろうとするのは、この日本ではイバラの道を歩むことなのです。 翻って、仏教や神道。 じつはこちらも、キリスト者と事情はそれほど違いません。 日本人...
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出自

平成12年度から平成14年度まで勤務した部署は、日本全国から集められた多くの人々からなっていました。 その部署に配属されることを、全国の事業所では人さらいと言って恐れていました。 北海道から沖縄まで、じつにさまざまな人に出会いました。 たこ焼きやお好み焼きをおかずにご飯を食べる関西人にも会いました。噂は本当だったのだ、と驚きました。 九州の人は、宴会のとき刺身醤油をよこせ、とひと騒動起こしていました。 五島列島から来た人は、飲みに行くたびに潰れるまで飲んでいました。 北海道の人は平等を何よりも重んじる風でした。そして意外に寒がりなのです。気持ち悪いくらい暖房を効かせていましたね。 北関東の人は、男気溢れる人が多かったですね。 そうかと思えば、水戸出身なのに納豆を親の敵のように嫌っている人もいました。 京都の女性は面倒くさかったし、東東京出身者は短気でしたね。 沖縄の人は絶対に日本酒に口を付けようとせず、終始焼酎を飲んでいました。 狭い日本ですが、幕藩体制が長かったせいか、土地による気風の違いというのは明らかにあるように感じましたね。 そこで私は、おのれの出自ということを考えずにはいられ...
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