思想・学問

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アウトサイダーと至高体験

イギリスの哲学者、コリン・ウィルソンは、誰もが体験する神秘的な状態を、至高体験と呼んでいます。これは心理学者のマズローが提示したもので、コリン・ウィルソンはこれを発展的に解釈しています。 至高体験は、ランナーズハイや薬物によるトリップとは違った、健康人が自己実現を果たそうとするときに起きるそうです。 人間は食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求が満たされ、さらに名誉欲や金銭欲が満たされても、それだけでは満足できないようにできています。 そこで最後に現れてくるのが、自己実現欲求です。そしてこの自己実現欲求が満たされたときこそ、至高体験が生まれるのです。 コリン・ウィルソンは処女作「アウトサイダー」で、色々な芸術家などの、社会秩序の内にとどまることを拒否した人々の問題を扱っています。その内容は絶望的なものです。退屈な日常に倦み、世界の成り立ちに絶望した人々を扱って、知的スリラーとでもいうべきものです。ニーチェやドフトエフエフスキー、サルトルなどが論じられます。  「至高体験」は「アウトサイダー」で提示した問題への解答と読むことができます。 「アウトサイダー」は一種の文学評論ですが、「至高体験」は心理...
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重力波

今朝の新聞に、アインシュタインが一般相対性理論で予言した重力波の存在を捉える大規模計画が動き出した、との記事が掲載されていました。 重力波は天体が回転する際に起こるさざ波のようなもので、これを観測することができれば、急膨張からビッグバンが起きた時期が判明し、宇宙論が飛躍的に前進する、とのことです。 一方、重力波が理論よりも弱かった場合、空間は三次元ではなく、ミクロの余剰次元が存在する証拠になるとか。宇宙は最大11次元だとする膜(ブレーン)宇宙理論が現実味を帯びてくるそうです。 いずれの場合も、一番乗りで発見すればノーベル賞間違いなし、とのことですが、アメリカもヨーロッパも同じ時期に観測を始めるとかで、熾烈な競争は始まったばかりです。 結果が出るのは2016年を予定しているそうで、重力波望遠鏡の建設に文部科学省がゴーサインを出したそうです。 文部科学省、やるぅ。 巨額の金がかかりますので、当然、国家プロジェクトです。 理系音痴の私ですら、わくわくするような話です。  事業仕分けとやらで、スーパーコンピューターの開発に関し、1位じゃなきゃダメなんでしょうか?と迷言をはき、事業を廃止に追い込...
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聖人?

昨日の産経新聞に、インドのブララド・ジャニという83歳のおじいさんが、70年間飲食排泄を一切せずに生きており、このほどインド国防省が検査を行った、との記事が掲載されていました。検査は遺伝子レベルにまでおよび、結果が出るのは数か月先だとか。 同省は軍事面や食糧問題に応用したい、とコメントしているそうです。 2003年に医師団による検査が行われ、その時には10日間、飲食排泄を行わなかったことが確認されているそうです。 10日間というのは微妙ですね。 信じがたい話です。何かからくりがあってインチキをしているとしか思えません。 しかし私は、不明なことにはニュートラルな立場をとることにしていますので、この記事については、何も言えません。 地元では聖人として崇められているそうです。 既成宗教も新興宗教も信じられないようなことを言っていますね。私には信じがたいことですが、多くの人が、長いことそれらの教義を信じてきました。 ただ、宗教を媒介にして多くの思想や社会規範、芸術などが生まれたことは確かですし、宗教によって良い人生を送ることができた人がいたことも間違いないでしょう。 私はそこに、各種宗教の存在...
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毒キノコ

人は意味不明の事態が起きると、必死で、自分たちが持っている知識や常識でそれを説明しようとする本能があるように思います。 人類学者、クリフォード・ギアーツは、フィールドの村で、数日の間に異常発達した毒キノコを見た村人たちが、口々に独自の解釈を述べ合った、と報告しています。 一時期よくテレビに出て超常現象は全部デタラメだ、と言って小銭を稼いでいた大槻教授も、この村人たちと同様、自らの知識や常識を守るため、必死になったのでしょう。忙しい物理学者がテレビで遊んでいる暇はないでしょうに。 超常現象や、キリスト教の奇跡、また、神がかりや口寄せなどの説明できないものは、社会の常識や科学を脅かし、人々を不安に陥れます。 この不安から逃れようと、良識ある大人は、大槻教授のようにあらゆる知識を動員して科学的に説明しようとします。 その姿は、執着そのもの。 どうして浅はかな人間が考え出した常識やら科学やらに固執するのでしょうか。 説明できないものであっても、いずれ科学的に説明できるようになるかもしれません。 また、人間は超自然的なものを求めてしまいますから、それらを否定してみたところで、自慰行為に過ぎません...
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超昏睡

そろそろ臓器移植法が改定されてから丸一年になりますね。  当時は脳死論議が盛んでしたが、一年たつと、メディアに取り上げられることもあまりありません。 むしろ一年間でどのくらいドナーが増え、どの程度臓器移植で命を長らえた人がいるのか、検証結果を報道してほしいものです。 1959年、フランスでモラレとグーロンが今日で言う脳死状態のことを、超昏睡(coma depasse)と名づけました。当時、超昏睡は人の死、という認識はなかったようです。この状態が脳死(brain death)と呼ばれるようになったのは、1967年の世界初の心臓移植以降のことです。 つまり超昏睡だと生きていることになるので、心臓を取り出せば、当然殺人罪に問われます。心臓移植を行うためには、その状態を脳死と呼び、死んでいるとみなす必要性があったというわけです。 元来、人の死は、肺機能・心機能・脳機能の3つすべてが停止した状態を指すのが当然でした。 ところが医学の進歩に伴い、臓器移植が可能になると、3つのうち2つが活動していても、脳機能が停止していれば、多分助からないだろうと見なして、助かるかもしれない人に、臓器を移すことで、...
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