思想・学問

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イオン

イオングループが、全国各宗派の寺院と提携し、定価を定めた明朗会計の葬祭業に乗り出す、との報に接しました。 戒名でどんな名前をつけたらいくら、法要はいくら、などとしているものです。 これは遺族にとっては便利なものですね。 寺に金額を聞いても、お志で結構です、と言われるだけなので、いったいいくら払えばよいのか分からない、という人は多いと思います。身内を亡くすという経験は、滅多にないことですし。 お志といっても、千円や二千円というわけにもいかないし、坊主一家も人間である以上、当然、金銭欲はあります。 明治五年の太政官布告によって、肉食妻帯勝手たるべし、ということになって、現在見られる、寺院の世襲が一般的になりました。 浄土真宗は親鸞の昔から妻帯し、世襲をおこなってきましたが、出家主義の親分ともいうべき曹洞宗までもが、なだれをうって妻帯、世襲に流れました。 現在見られる葬式仏教の隆盛は、明治政府による太政官布告によって始まった、といっても過言ではありません。 そして、イオンの明朗会計。これは言ってみたら本音の顕現化ですね。 こっそり聞いていたぶっちゃけどうなのよ、ということを堂々と始めたわけで...
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繰り返し

今週も無事5日間、通えました。 良い調子です。 サラリーマンは、毎日毎週同じようなことの繰り返しを耐えて生きていますね。 もちろん、出張があったり、会議があったり、時にはクレーマーに怒鳴られたり、変化はありますが、それほどのことはありません。 神経症治療を目的とする森田療法を創始した森田正馬博士は、それは違う、と言っています。 生きることは、一瞬一瞬が創造である、と。 つまり、同じようではあるが、昨日と今日は違う。例えば伝票処理一つとってみても、全く同じということはあり得ない。気分や体調も違う。それらすべてが、創造的行為だ、と言うのです。 そのように考えれば、無駄な時間などはなく、全ての時間が大切だと考えられます。 非常に明るく、ポジティブな考え方ですね。 そして、それは違うだろう、と思うことも言っています。 休養は仕事の転換にあり。  パソコン仕事に疲れたら掃除などの軽作業をするとか、仕事を転換していけば疲れ知らずだとか。 でも本当に疲れたら、横になって休むしかありません。 博士はタフガイだったのですね。 私は森田博士のように楽天的にはなれませんが、落ちそうなとき、ちょっと思い出して...
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異端

異端、といえば、カソリックに反対する意見を持つ人々、という印象を持ちます。 ときにそれらはカソリックに入り込んで、高い地位を得て、その地位を利用しつつ異端の教えを広めようとするイメージがあります。多くの小説や映画に描かれたからでしょうか。 映画では、「薔薇の名前」、文学では「カラマーゾフの兄弟」の「異端審問官」が有名ですね。 異端というと、悪魔崇拝とか魔女裁判を思い浮かべますが、単なる教義上の問題であることが多かったようです。 異端の中心的教義にグノーシス派がありますね。 現実世界を悪ととらえ、現実を構成する物質・肉体はすべて悪ととらえます。その結果、悪を働いてはならない、とする禁欲主義と、肉体はそもそも悪なので、霊が善であれば肉体は何をしてもよい、とする放縦派に分かれます。小説なんかに出て来る異端の破戒僧は後者ですね。 グノーシスは、現世を神の失敗作とみます。 そしてこの世を創造した神は絶対神ではなく、その上に至高神を設定します。至高神が創造神にこの世を造らせ、失敗した、というわけです。キリスト教グノーシス派は、創造神を堕落した天使ととらえます。 この世は悪に満ち、救いは得られず、物...
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ローマ教皇の差別

近頃英国議会で、同性愛者の雇用差別を禁止する法案が審議中だとか。 差別禁止、たいへんよろしい。 ところが、この法案が教会の職員にも適用される、とのことで、ローマで派手ななりをしてふんぞり返っているドイツ人が、噛みついたようです。 同性愛嫌いはヒトラーユーゲント時代にたたき込まれたのでしょうか。それとも、終戦直後捕虜となって、英国人だか米国人だかにおかまをほられて、トラウマになっちゃったんでしょうか。 当時ドイツでは同性愛者はユダヤ人と一緒に収容所送りでしたし、ローマ教皇庁は、先の大戦中、一貫してナチを支援しましたね。 それともローマでドイツ人がトップに立つためには、キリスト教保守派にすり寄る必要があったのでしょうか。 このドイツ人は、イスラム教を、世界に悪と非人間性をもたらした、と言ったり、仏教を、明確な信仰の義務さえない自己陶酔、と言ったり、どうも差別的な発言を好むようです。 同性愛者の雇用差別禁止法案を受けて、ローマ教皇は自然の摂理に反する、と言ったとか。 それは、性欲のことでしょうか。 昨年、アイルランドの神父による少女への性的虐待が発覚したのをきっかけに、世界中のカトリック教会...
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世はワールドカップ一色です。  サッカー日本代表、残念ながら敗れてしまいました。 しかし敗れてなお、そのプレーは称賛されています。 勝負は時の運。人事を尽くしたその姿勢は、立派なものでした。 サッカーに道を付ける呼び名は一般的ではありませんが、サッカー道、とでもいうべきものを感じました。 それは柔道や剣道など、日本古来の武術に劣るものではありません。 道、ということはいつごろから言われたのでしょうね。 昔は、剣術、柔術でした。 江戸時代の国学者、本居宣長によれば、古代、日本で道といえば、それは道路を意味するだけだったそうです。 そして日本に道という観念が存在しなかったかといえばそうではなく、真実の道が存在したため、道という観念を考え出す必要がなかった、ということです。つまり古代においては、天皇を中心とする国家秩序に従って、地位や与えられた役割(ほどほどにあるべきかぎりのわざ)を果たして、穏やかに楽しく暮らしていたため、行動の自己規範たる道を意識する必要がなかった、いわば理想的な状態だった、と言います。 理想的な状態というのは日本神話や古代を美化するもので、本居宣長が国学の大家ゆえの、浪...
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