
みんな
わが国は、十七条憲法の時代から、和をもって貴しとなしてきました。 誠にそれはそのとおり。日本国憲法にも、みんな仲良く、という趣旨のことが書かれています。 しかし、私は「みんな」という日本語が嫌いです。 「みんな」とは誰と誰のことなのか。 少なくとも、私は「みんな」という集団に所属したことはありません。 それと、「連帯責任」。古くは「一億総懺悔」。 結局「みんな」が悪いということで、裏を返せば誰も責任を感じない。 稟議制というのもそうです。ヒラからトップまでずらりと判子を並べ、「みんな」で決めたような感じにする。しかもその実、代理決裁とか言って、課長補佐クラスが課長・部長・局長と、一人でバンバン判子を押していたり。 しかし、某アメリカ人が、テレビで、「みんな」という感覚を持っていることが、日本の良さだ、と言っていました。アメリカ人は、おのれ大事の行き過ぎた個人主義で、日本がうらやましい、と。 「みんな」仲良いのは結構なことですが、「みんな」から外れると、いじめが発生しますね。「村八分」など、まさにそれです。 「みんな」と言う言葉のなかに、集団のためにおのれを捨てろ、という感じがこもってい...