思想・学問

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四十にして惑う

「論語」に、「四十而不惑」と、あります。 私はもうじき四十ですが、惑いっぱなしです。 「四十にして惑わず」などと、信じられません。 仕事が込めば惑います。 旨いものを食いたいだの、たっぷり寝たいだの、可愛い女と遊びたいだの、小説で世に出たいだのと、煩悩の塊です。 十五で学を志したとか、三十にして立った、とか言うのは理解できます。 しかし、四十にして惑わずというのは、理解できません。 果たしてこの現世に生きる生身の人間が、不惑の境地を迎えることなどありえましょうか。 まして、五十にして天命を知るとか、六十にして耳順うとか、そんなことが私の心に起こったなら、驚天動地の大事件と言わざるを得ません。 そんなことは、仏教で言う魔境と言うべきです。 儒者を疑う気はありませんが、私の素直な欲望に照らして、そう思います。 その時を待たなければいけませんが、年をとるなど、私には、ただずうずうしくなっていくだけのような気がします。
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歎異抄

昨日読んだ「正法眼蔵随聞記」があまりに厳しく、行うに難い内容であったため、自ら易行をもって任ずる浄土真宗の古典「歎異抄」を読みました。  しかし、その内容は私の心を打ちませんでした。ひたすらに念仏せよ、というのは、いかにも簡単ですが、それで西方浄土に行けるというのは、なかなか納得いきません。 例えば次のような言葉。「ただ自力をすてて、いそぎさとりをひらきなば、六道・四生のあひだいづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもてまづ有縁を度すべきなり」 これなどは、バスに乗り遅れるな、と言っているように聞こえます。  私の個人的趣味としては、難行であったとしても、浄土門より聖道門のほうが合っているように感じます。
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正法眼蔵随聞記

「正法眼蔵随聞記」を読みました。 以前から、「正法眼蔵」に挑戦してみたいと思っていたのですが、あまりのボリュームに恐れをなし、今だに読んでいません。 ある人にその話をしたら、「正法眼蔵随聞記」を勧められました。 こちらは道元の弟子が道元の言葉をメモしたもの、という形式をとっており、岩波文庫で150ページ弱と、一気に読める量です。 詩篇を読むような感じです。 感想を言えば、イメージどおりの道元禅師が、そこで話しているかのように浮かんできたことと、その言葉の厳しさです。 私はまるで、自分が責められているように感じました。  特に心に残った言葉。「寡人仁ありて人に謗ぜられれば愁ひとすべからず、仁無ふして人に讃ぜられれば是れを愁ふべし」 私はまさに、これと全く逆です。正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)懐奘岩波書店
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至高体験

コリン・ウィルソンの「至高体験」を読みました。 至高体験とは、『健康人における、精神的エネルギーの奔出』だそうです。さらに、『美的・宗教的経験の極致に経験する』のだそうです。 コリン・ウィルソンは目の付け所が良いというか、他に研究者がいない分野ばかり開拓して、現代の知的巨人になっていますが、逆に、胡散臭いと感じる人も多いと思います。 躁うつ病の私には、至高体験なるものと、躁状態がいかに異なるのか、よくわかりません。至高体験のつもりが、精神科医に言わせれば、単なる躁状態で、躁を抑える薬を処方されてしまった、ということだってあり得ます。「健康人における」と言っても、何をもってそれを担保するのか、不明です。 論旨は明快で分かりやすく、面白く読めるうえに、考え方がポジティブですが、私は眉に唾をつけて読みました。 至高体験―自己実現のための心理学 (河出文庫)Colin Wilson,由良 君美,四方田 犬彦河出書房新社