
境界線
イタリアの哲学者、ジョルジュ・アガンベンは、「境界線を疑え」と言っています。「われわれ」と「彼ら」と言ってもいいでしょう。 健常者と精神病者、日本人と朝鮮人、白人と有色人種。 共同体を維持するためには、「われわれ」という括りを設けて、「彼ら」を作り出さなければいけません。あるいは、「彼ら」が在るから「われわれ」が在る、と言ったほうが適切かもしれません。 どこの国でも、外国人の入国には一定の制限がありますし、社会的弱者や異質な ものに対する差別があります。 私自身、精神病を発症し、差別的発言を受けたことがあります。そのとき、私は「彼ら」にされていたわけです。 しかし、社会的存在である人間は、必ず、境界線を設けてしまいます。そうでなければ、集団は維持できません。愛国心とか、母校愛とかいったものも、まさに境界線です。 これに対処する方法はあるでしょうか。おそらく、根本的方法は皆無でしょう。 そもそも言語というもの自体が、境界線を引くためのものです。あれとこれを分けるためのものです。月と星のように。 アガンベンは、境界線を引くために与えられた言語しか存在しない以上、その言語...