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6人目の死

ショッキングな報せを受けてしまいました。 東北の某機関で中間管理職を務めていた4歳ほど年下の後輩が、脳腫瘍で亡くなった、というのです。 独身のため、喪主は父親が務めるようです。 逆さ仏とはやれませんねぇ。  これで知り合いが現職死亡するのは6人目となりました。 このうち、自殺は27歳で死亡した後輩と38歳で死亡した先輩の2人。 胃がんが1人。 脳腫瘍が1人。  脳梗塞が1人。 心筋梗塞が1人の計6人です。 定年後に亡くなった方となると、もうどれほどの人数になるのか分かりません。 人は必ず亡くなるわけですが、この高齢化の時代にあっても、60歳を待たずに亡くなってしまう方がけっこうおられます。 私は40代半ばですから、これからますます知り合いの死に直面することが多くなるでしょう。 あるいは私自身が突然の死に見舞われるかも。 人生一寸先は闇ですからねぇ。 このたび亡くなった後輩、仕事熱心というか、入り込み過ぎるきらいがあり、ゆえに頑張りすぎたり悩んだりしたのだろうと推測します。 また、初めての管理職とあって、張り切りすぎたのかもしれません。 あるいは、管理職となったがゆえに始まった、通称ドサ...
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お待ちかねの土曜日、買い物に行ったり、散歩をしたり、のんびり過ごしました。 明日はちょっと複雑な関係性の方々とお昼に銀座アスター津田沼店で忘年会があります。 まず、私と同居人、それに私の実母。 それと私たちの仲人を務めていただいた方とその後添え。 後添えの女性は、私の母が紹介しました。 したがって、私たちの仲人であり、母がその仲人の事実上の仲人。 ややこしいですねぇ。 それと、かつて私と仲人と一緒に働いていた方ご夫妻。 この方はもう定年して10年になりますが、今でも私を気にかけてくれ、時折飲みに誘ってくれます。 かつては上司でしたが、今は年の離れた友人と呼びたい感じです。 誠に縁と言うのは、奇妙で味わい深いものです。
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平昌オリンピックを助けるのは嫌です

国際オリンピック委員会の委員長が、2018年開催予定の韓国・平昌オリンピックに関し、単独開催が危ぶまれるとかで、競技の一部を長野で開催する案を議論中であると言い出した、との報道に触れました。 わが国のネット住民はこれに猛反発しています。 私も日本で一部競技を開催することには断固反対です。 そもそもオリンピックを二カ国で共催するなんて聞いたことがありません。 なぜ韓国は出来もしないのに立候補したんでしょうね。 これでは敗れたドイツもフランスも浮かばれないというものです。 立候補時に行ったプレゼンでは、仁川空港と平昌を高速鉄道で結ぶと明言していましたが、財政難であえなく頓挫。 そのほかにも、雪不足、予算不足、地元の反対など、様々な問題を抱えていることはすでに明らかになっています。 そんなタイミングで飛び出したのが、IOC委員長の先の発言。 このままじゃ出来そうもないから、お隣で冬のオリンピックを札幌・長野と2回成功させた日本に助太刀を、というわけですが、そんな虫の良い話はありません。 そもそもIOC委員長にそこまで言われて、韓国は恥ずかしくないのでしょうか? 韓国人の間では、平昌の苦境を良...
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お疲れ

今日はお休みだというのに、なんだか忙しかったですねぇ。 朝は早朝四時半から実家のお寺の依頼で、寺報の編集。 手書きの原稿や写真などのネタはもらっていましたが、何しろ読めた代物ではないような、冗漫な文章を大幅に修正。 その後写真や原稿を割り付けていきました。 終ったのが九時過ぎ。 そのデータと出力したもの、及び返すべき写真や原稿を持って実家に行きました。 それらを渡し、酒や肴のお土産を貰って帰宅し、中食を摂って今度は週に一度の掃除と洗濯。 さらには買出し。 なんだか疲れました。 昨日の土曜日が急遽出勤となったため、二日分の仕事を一日でやっつけた感じです。 明日は急ぎの仕事もないし、土曜日の代休としましょうかねぇ。 電話一本で休むのはなんとなく気が引けますが、体が大事ですから。 やれやれ。
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事もなし

冬至に向かって日に日にお日様は遠く短くなります。 そんな今頃は、死を予感させる季節だと言えるでしょう。 古来人間は、死というものの意味を考え抜き、死があるから宗教や哲学が生まれたと言っても過言ではありません。 人間にとって最終的に、そして唯一重要なのは、死をどう捉えるかということになるのでしょう。 わが国では死後、穢れた黄泉の国へ行くとされ、仏教受容以降、にわかに西方浄土へ行くことを願う阿弥陀信仰が盛んになりました。 キリスト教徒やイスラム教徒は最後の審判の後、天国へ行くことを願います。 いずれも艱難辛苦に満ちた現世を生きる人々の切ない願いが生みだしたもので、それ自体は嘘であろうと真であろうと、大した意味は持ちません。 それを信じることによって現世での苦しみがわずかでも軽減され、幸福感が増すという効用があるという事実が重要なのでしょう。 しかし現代の日本人は、ほぼ信仰を持っていない状態になっています。 信仰がほとんど無い状態で、わが国びとが高い倫理感を維持してきたのは奇跡的なことで、宗教に代わる武士道や儒教などの道徳が庶民に至るまで染みついていたためと思われ、それは今も変わらないと私は...
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