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本葬

昨日、亡父の本葬が盛大に執り行われました。 大導師に池上本門寺の貫主猊下をお迎えし、導師に2名の高僧を迎え、その他6名の坊主により行われ、それは華やかなものでした。 列席の100名もの坊主も貫主猊下の読経に合わせて声を張り上げ、我々坊主業界以外の道に進んだ親族は、なんだかいたたまれないような感じでした。 13時から始まった法要は弔辞、兄による謝辞も含め、90分にも及びました。 その後バスやハイヤーを大量に仕立てて赤坂のホテル・ニューオータニに移動。 父と母が結婚披露宴を行ったという因縁の宴会場で、追悼会とあいなりました。 献杯まで次から次へと日蓮宗の高僧があいさつを述べ、酒にありつけるまで1時間以上を要しました。 参っちゃいましたね。 その後会食。 でも会食が始まった頃には、なんだか疲れてしまいました。 酒を喰らっては料理を平らげる坊さんたちの旺盛な生命力は、時折私を疲れさせます。 私にもそんな生命力が欲しいものです。 久しぶりに会う親戚たちは私の痩せぶりに目を見張り、病気じゃないかと心配してくれましたが、私にしてみれば若い頃の体重に戻っただけのこと。 別にどうということはありまえせん...
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後世

今日は休暇をとりました。 以前から何度も書いているとおり、亡父の本葬のためです。 しかし亡くなったのが3月5日で、密葬と称する盛大な葬儀を出しておきながら、今頃本葬というのは、一般的にはあり得ないでしょうねぇ。 実家ながら坊さんの世界の習慣はよくわかりません。 実家での葬儀が13時からで、赤坂のホテル・ニューオータニでの追悼の宴会が16時半から。 実家には12時半頃着けばよいかなと思っていましたが、着付けのおねぇさんを呼んでいるとかで、親類は実家で着付けをするようです。 同居人もそうしたいとかで、かなり早く行かなければなりませんねぇ。 11時前には到着したいところです。 いよいよ亡父の遺骨も冷たい石の下へと入れられ、個人史は終わり、寺の歴史となるのですねぇ。 亡父は開山上人から数えて45世。 開山上人はもとは天台宗の坊さんでしたが、日蓮上人の話を聞き、日蓮宗へと転じて浅草に寺を開山したと伝えられます。 その後寺は現在の江戸川区に移転。 江戸へ農作物を供給する農村の寺として、地域とともに発展してきました。 亡父も保護司やらPTA会長やら、柄にも無く地域の仕事を引き受けていましたっけ。 寺...
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飲み過ぎ

昨夜は少々飲みすぎました。 夜、立食パーティー形式で永年勤続の祝賀会があり、それが終わったらとっと帰ればよかったのですが、二次会に行ってしまったのがまずかったようです。 時間的には22時には終わったのですが、最近は軽く晩酌するだけで、外で飲むということがなかったので、ペースが狂ったようです。 今朝、目が覚めたら7時半。 いつも7時50分には家を出るので、20分しかありません。 遅刻してもいいやと言う感じでのんびり朝飯を食い、8時過ぎに家を出ました。 5分ほどの遅刻です。 誤差の範囲かなと、自分に言い訳しています。 明日は亡父の本葬。 13時から実家の寺で葬儀と納骨。 その後バスを仕立てて都内某一流ホテルへ移動し、追悼会と称する宴会です。 人が死ぬということ、大変なことです。 今さら何の感慨も浮かばないような気もするし、納骨の時には悲しみがこみ上げるような気もします。 まぁ、なるようにしかなりません。にほんブログ村人気ブログランキングへ
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止まった

3月5日に父が亡くなってから、最初の一か月で5キロ、その後は毎月2~3キロのペースで体重が落ち続けていましたが、今月は体重が落ちることなく、52キロ台で推移しています。 どうやら私の体重減少も止まったようです。 おそらく、52キロくらいが私の限界なのでしょうね。 マックス74キロまでいってしまいましたが、52キロということで、22キロ落ち、20歳の頃の体重より1キロ軽い程度で済みました。 まずは良かったと思います。 昔買ったスーツを捨てずに持っていたので、今はそれを着ています。 人間何が起こるか分からないですから、太ったからとか痩せたからとか言って、合わなくなった服を棄てるのは考えものですね。 いつまた太ったり痩せたりするかわかりませんから。 でももう太りたくないですねぇ。 太っている時は腹が邪魔で靴下を履くにも難儀しました。 もともと太っている人はそれが当たり前で何とも思わないのでしょうが、私の場合は急激に太ったので、やけに暑がりになったり、体の変化に戸惑いました。 血液検査の結果もどんどん悪くなりましたし。 それが今では、血液検査の結果はオールAです。 痩せるということはすさまじい...
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七五三

11月15日およびその周辺の土日には、神社やお寺などに出かけると、華やかに七五三を祝う親子連れを多数見かけますね。 子どものいない私にはまぶしい風景です。 元々は関東地方のみに見られた地方習俗だったそうですが、今は全国で行われています。 七つまでは神のうち、という言葉がありますね。 かつて栄養状態や衛生状態が劣悪だった頃、乳幼児死亡率が極めて高く、七つくらいまではいつ亡くなってもおかしくないと考えられ、七歳を超えればやっと成人するまで生きられる可能性が高くなった、と認められ、言わば神の世界から人間界にデビューするという意味合いがあったものと思われます。 三つや五つで祝うのは、七つまで生きて欲しいという切ない親心からでしょうねぇ。 一方、この時期は障害児などを間引く期間ともされ、時には口減らしのために健康な幼児を間引くこともあったようです。 少ない食糧で家族が生きていくためには仕方が無い側面があったとはいえ、現代社会では考えられない痛ましい風習です。 近頃では料亭やホテルの宴会場などで派手に宴会をやる家もあるようで、七五三の持つ意味は時代とともに変っていくものです。 私の甥は実家の寺で法...
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