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ジンギスカン

今日は冷たい雨が降っています。嫌な感じです。 今日、職場では電気設備の点検のため、ネットワークが使えません。 メールもインターネットも、プリンタさえも。 ネットワークに保存されている文書を開くことすらできません。 いかに日頃パソコンを通じてネットワークに依存していたかを痛感させられます。 でもほんの20年前までは、毎日こういう状態だったのですよねぇ。 その代り職員がいっぱいいました。 マン・パワーで補っていたのですね。 今はパソコンの普及で怖ろしいほど職員が減りました。 派遣職員や契約職員などの非正規雇用は劇的に増えましたが。 今夜は南船橋のサッポロビール園でリワーク時代にごく親しくしていた野郎ばかり5人でジンギスカンを食す予定です。 世代も職種も違う5人ですが、同じ時期に、同じような苦しみを抱えてそれを克服した仲間というのは、何者にも代えがたいものです。 今の小さくなった胃袋に苦労している私にくどいジンギスカンがどれほど食えるか疑問ですが、会費分を取り返すには食うより飲んだほうが良さそうです。 ビールはすぐに腹が張るので苦手ですので、何か別のものを飲もうと思います。 ジンギスカンは1...
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実家

11月29日の父の本葬の前に、最後のお参りに実家に行って来ました。 次はもう父は墓の中。 淋しいような気もしますが、世の中は生きている人間を中心に廻っています。 死んだ者には、礼をつくしつつも、消えていっていただかなくてはなりません。 父の死後、母は兄夫婦とその子どもたちと同居を始めましたが、嫁姑の関係は良好なようで、まずは安心しました。 少なからぬ金額を、遺産として受け取りました。 母が私を呼んだのは、この遺産の相続の意味合いが大きかったものと思われます。 ありがたいことです。 実家は本葬に備えて畳の張替えをすませ、30畳の座敷、本堂、茶室、離れ、みな新しい畳の香りが漂い、清浄な空気に包まれていました。 父の本葬で畳が日に焼けていたのでは格好悪いですからねぇ。 私の体重のことは、昔に戻ったとか、格好良くなったとかいう評判で、もっとガリガリに痩せている姿を想像していたようです。 学生時代の体重に戻っただけですから、当然と言えば当然なのですが。 NHK松山放送局製作の種田山頭火を扱った番組のDVDを置いてきました。 後でじっくり見ると言っていました。 私としては、私の姿があまり元気がなく...
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老い

今朝はなんだか寒いですねぇ。 このところ、股引が手放せません。 真冬になったらさらに暖かい、起毛した股引をはくことになるんでしょうね。 これでは、いざという時、ズボンを脱ぐことができませんねぇ。 最も今の私には、いざという時など、120%あり得ないわけですが。 先日NHK松山放送局から送られてきた「しこく8」のDVDを何度か見ましたが、私もずいぶん老けました。 髪は黒々ふさふさですが、顔にたくさんの小さなシミができ、痩せたせいか皺っぽくなってしまいました。 その上画面で見る私の動作やしゃべり方は緩慢で、私が思い描いていた私自身の姿とあまりに異なっていて、驚きました。 主観と客観の違いというやつでしょうねぇ。 しかしまぁ、逆に言えば老けるくらいまで生きられたということで、これを寿ぐべきでしょうね。 若くして死んでしまえば、老けた姿をさらすことすらできないのですから。 現に川端康成は、「老醜をさらしたくない」という理由で自殺してしまいました。 自殺する時点で十分老醜をさらしていたように思いますが。 昔から不老長寿の妙薬を求める権力者は数知れず。 しかしそんなものが存在するはずもなく、どうし...
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朝寝

今日は珍しくたっぷり朝寝してしまいました。 いつもは休日でも平日と同じくらいの時間に起きるのに、今朝目が覚めたら11時過ぎ。 疲れているんでしょうかねぇ。 自覚的には元気なつもりなのですが。 あるいは寒くなってきたせいかもしれません。 寒いと布団から出るのがしんどいですから。 昼はお向かいのイタ飯屋でパスタを食い、少しは体を動かそうと車で10分ほどの千葉市中心部に向かい、散策しました。 千葉市は政令指定都市ですが、仙台市や札幌市、福岡市などの地方の中核都市に比べて、自己完結性が低いように感じます。 さいたま市や川崎市、横浜市などの東京の衛星都市はみなそうですが、すぐに都内に出られるせいか、美術館や劇場などの文化施設が極端に少ないように思います。  そのくせソープ街なんて余計なものがあって、街の風紀を乱しています。 しかしそれでも、私は千葉市住まいが気に入っています。 都内ほどの人混みはなく、かといって淋しいほどの田舎でもありません。 人が暮らすのに、ちょうど良い人口密度であるように感じます。 都内はどこへ行っても人が多くて辟易します。 高校・大学の7年間、よくも都内の東の端、江戸川区か...
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水晶の夜

1938年の11月9日深夜、ユダヤ人の商店や家屋が略奪、暴行を受ける事件がドイツで発生しました。 いわゆる水晶の夜事件です。 その直前、ポーランド政府はポーランド国籍を持つユダヤ人の旅券には新しい認印が押印されていなければ無効、という法律を用意しました。 ドイツ以上にユダヤ人差別が激しかったポーランドでは、有効な旅券を持つポーランド人の旅券を無効とし、ポーランドへの帰国ができないように画策したのです。 ナチス・ドイツはこれに激怒。 新旅券法が成立する前にポーランド国籍のユダヤ人を大量に国境地帯に移送し、強引に帰国させようとしました。 新旅券法が成立していないにも関わらず、ポーランド政府はユダヤ人の受入れを拒否。 ポーランド国籍のユダヤ人たちは国境周辺で難民と化してしまいました。 多数の餓死者が出たそうです。 難民の一人、センデルは窮状をパリに住む息子、ヘルシェルに訴えます。 ヘルシェルはパリのドイツ大使館勤務のラートを暗殺してしまいます。 これがきっかけになり、水晶の夜事件が起きたというわけです。  一説には、ヒトラーの命令でSA(突撃隊)を組織して暴動を扇動した官製デモだと言われてい...
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