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死に顔

亡父の通夜が3月15日、告別式が16日と決まって、あまりに遠いため、午後実家に死に顔を見に行きました。 静かな顔でした。 線香をあげて顔を見ても、不思議なほど何の感慨もわきませんでした。 冷たい倅ですね。 亡父は西行法師の和歌をこよなく愛していました。 病の床にあって、「山家集」をひもといていたくらいです。山家集 新訂 (岩波文庫 黄 23-1)佐佐木 信綱岩波書店 その辞世、 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 には、少し早かったようです。 しかしせっかちな亡父のこと。 花なんぞ待っていられなかったのでしょう。 それにしてもわが実家には、佃煮にするほど坊主が集まり、檀家の世話人も交えて誰が葬儀委員長をやるだの導師をやるだの、どうでもよいことを話し合っていました。 なるほど葬式というものは、生き残った者のためにやるのだなぁと、感じ入ったしだいです。にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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涙雨

亡父の死を悼むかのごとく、涙雨が時に弱く、時に激しく降っています。 私は通夜と告別式の日取りが決まるのをただマンションで待っているだけ。 実家ではさぞかし大忙しでしょう。 手伝いに行きたい気持ちはやまやまですが、かえって足手まといになるだけでしょうから、実家からのお呼びを待つ他ありません。 実家は日蓮宗の寺院ですが、父が13歳のときに祖父が急死。 それから26歳で住職におさまるまで、ずいぶんと苦労したように聞きました。 しかしその後は、宗門で出世街道をひた走り、全国青年委員長、宗議会議員、総合企画部長、そして日蓮宗宗務総長と、事務方のトップへと駆け上がりました。 引退してずいぶん経ちますが、おそらくは通夜、葬儀も盛大にならざるを得ず、それだけに日取りの決定に時間がかかっているものと思われます。 強運の持ち主だった亡父のこと、日取りさえ決まれば涙雨はきれいに上がり、極楽往生を寿ぐかのような晴天に恵まれるものと信じています。
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父の死

今朝早く、母から電話がありました。 父が肝臓がんのため、他界した、とのことでした。  昨日、私は浅草寺病院に父の個室を見舞いました。 浅草寺の五重塔がよく見える部屋でした。 父はモルヒネと睡眠薬の点滴をうけ、もはや痛みを止める以外に手はない、とのことでした。 それでも手をにぎり、「とびおです。お見舞いに来ました」というと、うっすら目を開け、「ありがとう、悪いな」と蚊の泣くような声で返事をしました。 もはやその魂は、あの世とこの世を行きつ戻りつしているかのごとくでした。 浅草には父が行きつけだった鮨屋があり、バーがあり、父が最も愛した場所でした。 最初は慶応病院に入院していたのですが、退院してしばらくし、先月末、再度入院しようという時、慶応病院にはベッドに空きがないとのことで、浅草寺病院を紹介されたのです。 結果的に、父がこよなく愛した浅草で死を迎えることになりました。  不幸中の幸いは、長患いしなかったこと。 誇り高い父には、寝たきりで何年も生きるなど、考えられないことです。 正月にはまだ元気で、少しですがワインなども嗜んでいました。 先月26日に容態が急変。 入院してしばらくは、退院...
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週末

冴えない週末でしたねぇ。 体調が悪いということは、こんなにつまらないものなんですねぇ。 咳が出て微熱があるくらいでこんなにしんどいのですから、重病の方のご苦労、お察しします。 加えて父が体調を崩して入院したとかで、自分の体調不良を押してお見舞いに出かけました。 齢71。 色々とがたが来る頃でしょう。 回復を祈ります。
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良かった

昨夜は食欲がなく、晩飯を食わずに薬を飲んで18時には床に着きました。 寒気に震えながら寝たのですが、今朝4時には激しい空腹とともに眼が覚めました。 普通に朝飯を食い、また横になりました。 咳も微熱も寒気もすっかり治まりました。 なにはともあれ、良かったです。 多分薬で抑えているだけだとおもうので、この土日は大人しくしていようと思います。 あ、でも床屋には行かなくちゃ。 大分伸びましたから。  それと、夕方16時30分に精神科を予約しているのでした。 結構忙しいですねぇ。
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