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もうしば漬けは食えない 追悼 山口美江さん

山口美江さんが亡くなったそうですね。 まだ51歳だったとか。 やれませんねぇ。 死因は心不全。 要するに謎の急死ですねぇ。 私が高校生の頃、CNNヘッドラインのキャスターとして得意の英語力を生かし、鮮烈にデヴュー。 バブルの予感高まる頃、男女雇用機会均等法が成立。 バリバリ働く女性が格好良いとされていました。 CNNキャスターでバリバリ働く姿を見せつけた後、疲れたキャリア・ウーマンが帰宅するなり「あぁ、しば漬け食べたい」とつぶやくフジッコの漬け物のCMで大ブレイク。 女たちも疲れているのよ、という強烈なメッセージを発しましたね。  タレントとして大活躍しましたが、お父様の介護で大変な経験をされたようです。 認知症を患ったお父様からプロポーズされた、という逸話は衝撃でした。 お父様を深く敬愛して、生涯独身だったと聞きおよびます。 バブルをうまく利用した1人でもありました。 バブルは遠くなりにけり、ですかねぇ。 ご冥福をお祈りします。ソフト漬物 赤しば漬フジッコフジッコ女ひとりで親を看取る山口 美江ブックマン社にほんブログ村エンターテインメント ブログランキングへ ↓の評価ボタンを押してラ...
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もう一週間以上、微熱と咳が続いています。 3月2日に内科を受診してから、良くなった気がしないので、今日再受診しました。 インフルエンザの検査をして、ただの風邪だと分かり、前回出た薬にプラスして、解熱鎮痛剤がでました。 先生いわく、もう大方治っているそうですが、自分ではとてもしんどいのです。 昨日、咳き込みながら仕事をしていたら、上司から、体調が悪いときは休むのも仕事のうちだと言われ、お言葉に甘えて今日は休むことにしました。 いっぷう変わったところのある上司ですが、根は優しいものと見えます。 咳といえば、尾崎放哉の、 咳をしても一人 という自由律俳句が思い浮かびますね。 しかしわが職場は風邪が猛威を奮い、あっちでもこっちでも咳やくしゃみをしており、まるで競争のようです。  今日は家で、一人の咳に浸れます。 少しは尾崎放哉の句境に迫れるでしょうか。尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)村上 護筑摩書房にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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死に顔

亡父の通夜が3月15日、告別式が16日と決まって、あまりに遠いため、午後実家に死に顔を見に行きました。 静かな顔でした。 線香をあげて顔を見ても、不思議なほど何の感慨もわきませんでした。 冷たい倅ですね。 亡父は西行法師の和歌をこよなく愛していました。 病の床にあって、「山家集」をひもといていたくらいです。山家集 新訂 (岩波文庫 黄 23-1)佐佐木 信綱岩波書店 その辞世、 願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 には、少し早かったようです。 しかしせっかちな亡父のこと。 花なんぞ待っていられなかったのでしょう。 それにしてもわが実家には、佃煮にするほど坊主が集まり、檀家の世話人も交えて誰が葬儀委員長をやるだの導師をやるだの、どうでもよいことを話し合っていました。 なるほど葬式というものは、生き残った者のためにやるのだなぁと、感じ入ったしだいです。にほんブログ村 本・書籍 ブログランキングへ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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涙雨

亡父の死を悼むかのごとく、涙雨が時に弱く、時に激しく降っています。 私は通夜と告別式の日取りが決まるのをただマンションで待っているだけ。 実家ではさぞかし大忙しでしょう。 手伝いに行きたい気持ちはやまやまですが、かえって足手まといになるだけでしょうから、実家からのお呼びを待つ他ありません。 実家は日蓮宗の寺院ですが、父が13歳のときに祖父が急死。 それから26歳で住職におさまるまで、ずいぶんと苦労したように聞きました。 しかしその後は、宗門で出世街道をひた走り、全国青年委員長、宗議会議員、総合企画部長、そして日蓮宗宗務総長と、事務方のトップへと駆け上がりました。 引退してずいぶん経ちますが、おそらくは通夜、葬儀も盛大にならざるを得ず、それだけに日取りの決定に時間がかかっているものと思われます。 強運の持ち主だった亡父のこと、日取りさえ決まれば涙雨はきれいに上がり、極楽往生を寿ぐかのような晴天に恵まれるものと信じています。
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父の死

今朝早く、母から電話がありました。 父が肝臓がんのため、他界した、とのことでした。  昨日、私は浅草寺病院に父の個室を見舞いました。 浅草寺の五重塔がよく見える部屋でした。 父はモルヒネと睡眠薬の点滴をうけ、もはや痛みを止める以外に手はない、とのことでした。 それでも手をにぎり、「とびおです。お見舞いに来ました」というと、うっすら目を開け、「ありがとう、悪いな」と蚊の泣くような声で返事をしました。 もはやその魂は、あの世とこの世を行きつ戻りつしているかのごとくでした。 浅草には父が行きつけだった鮨屋があり、バーがあり、父が最も愛した場所でした。 最初は慶応病院に入院していたのですが、退院してしばらくし、先月末、再度入院しようという時、慶応病院にはベッドに空きがないとのことで、浅草寺病院を紹介されたのです。 結果的に、父がこよなく愛した浅草で死を迎えることになりました。  不幸中の幸いは、長患いしなかったこと。 誇り高い父には、寝たきりで何年も生きるなど、考えられないことです。 正月にはまだ元気で、少しですがワインなども嗜んでいました。 先月26日に容態が急変。 入院してしばらくは、退院...
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