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慣れない肉体労働が祟ったのか、昼にいつものように400円の日替わり仕出し弁当を食ったら、激しく咳き込み、トイレに駆け込んであらかた戻してしまいました。 その後も激しい咳と微熱が続き、13:30からの打ち合わせが約1時間で終ると、早退しました。 今週は皆勤だっただけに、残念です。 でもあのまま職場にいても、咳をするばかりで仕事にならなかったでしょう。 人に移したかもしれないし。 帰宅すると、早速かかり付けの内科に行きました。 咳を抑える薬、気管を広げる薬、抗生物質、吸入器などなど、あまたの薬が処方され、三十分ほど前に飲んだら、気持ち悪いくらい咳や喉の痛みが治まりました。 西洋医学、恐るべし。 とりあえず、良くなっても全部飲むように、とのことで、7日分が処方されました。 金曜日に体調を崩すのは悔しいですねぇ。 この週末は安静にしている他ありますまい。 残念。にほんブログ村人気ブログランキングへ ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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ALL THAT JAZZ

昨日珍しくレンタル店で懐かしの名画コーナーを冷やかしていたら、じつに懐かしく、思い出深い作品を見つけました。 「ALL THAT JAZZ」です。 つい、借りて鑑賞してしまいました。 1979年のアメリカ映画ですが、私は中学生の頃、深夜にテレビで放送していたものを、何の予備知識もなく、観るともなしに観始めて、その映像美に惹きこまれました。 「ジョーズ」で巨大鮫と戦う船長を演じて当時飛ぶ鳥落とす勢いだったロイ・シャイダーが、芝居の振り付けや映画監督などのショー・ビジネスの世界で生きてきた男を見事に演じています。 忙しく働く主人公が、病で倒れ、入院してしまいます。 薬の副作用か、病の床で、彼は夢とも現ともつかない幻想の世界に遊ぶことになります。 自分が理想とする華麗なショーが始まるのです。 時には観客として、時には演出家として、彼はそのショーに参加します。 その中で、彼は過去に戻り、また、あの世に遊びます。 時間が交錯し、病人の精神状態を端的に表しています。 そして随所に、往年のミュージカルやジャズの名作が流されます。 それをうっとりと見つめる、死を目前にした主人公。 観ているこっちは泣き...
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ロスト・アイランド

予告編にだまされちゃいましたねぇ。 「ロスト・アイランド」。 家族が無人島に流れ着き、島の秘密に怯えるホラーかと思ったら、家族愛を歌ったアドベンチァー物でした。 ドイツからカリブ海にバカンスを楽しみに来た家族。 家族と言っても、幼い男の子と女子高生は母親の連れ子で、義父となるべき人とはまだ婚姻を結んでいません。 この旅行で家族として新生を果たそうとする中年男の夢は、無残にも砕かれます。 クルーザーの船長が大いなる自由人というべき破天荒な男で、クルージングに出かける前の晩、ポーカーで負けて船をギャングの親分に奪われてしまいます。 船長は船をとられてなるものかと、夜中、ドイツの一家四人を乗せたまま夜逃げ。 しかし海賊稼業もやっているギャングに船を奪われ、ゴムボートで海に投げ出され、無人島に漂着します。 テンポが早く、悲惨な状況にも関わらず底抜けに明るく、家族で楽しめる娯楽作に仕上がっています。 1970年代末、私は両親に連れられてよく銀座や日比谷の映画館に行きました。 その頃、「ジョーズ」や「スター・ウォーズ」などと並んで、「アドベンチャー・ファミリー」とか「サヴァイバル・ファミリー」とい...
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ステイト・オブ・ウォー

冷たい雨に閉じ込められて、寒々しい戦争映画を鑑賞しました。 「ステイト・オブ・ウォー」です。 1982年、私が中学一年生の時に勃発した英国とアルゼンチンとの間のフォークランド紛争が、敗れたアルゼンチンのある兵士の視点で描かれます。 たしか、アルゼンチンが突如フォークランド諸島に攻め込んで占領したかと思うと、鉄の女サッチャーの強い意志で直ちに反撃、わずか一ヶ月程度でアルゼンチンが降伏したように覚えています。 今まで色々と戦争映画を観てきましたが、侵略した側が、あれほど貧相な装備、低い士気、滅茶苦茶な上官だったためしがありません。 南極に近い寒い島で、道路も舗装されておらず、不潔そのものです。 私など、あそこへ兵士として送り込まれたら、一夜で発狂して敵味方関係なく自動小銃を撃ちまくり、殺害されるでしょう。 あれじゃあ近代化された装備を持つ英国軍に勝てようはずもありません。 戦闘というよりひたすら退却するアルゼンチン軍。 その間も、空爆や戦車などで次々に血祭りに挙げられていきます。 絶望的な状況。 現代、一緒にフォークランド紛争を戦った仲間が自殺を図り、意識不明に陥ります。 そしてテロップで...
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23年

平成元年2月24日、昭和天皇の葬儀である大喪の礼が行われました。 あれから23年経つんですねぇ。 冷たい雨の降る寒い日でした。 あの時、日本国家としての葬儀である大喪の礼の前、会場となった新宿御苑には鳥居が建てられ、皇室の私的儀式である大喪儀が行われました。 その後大喪の礼に移行する際、宗教色をなくすため鳥居を白い布で隠すという馬鹿げたことをしていましたね。 時あたかもバブル絶頂で、わが国の偉容に恐れをなしたか、この儀式に参列した要人は、王国なら国王もしくは王子、共和国なら大統領、国家元首クラスの非常に多くの人々が昭和天皇の崩御を悼みました。 皇居内に殯宮(もがりのみや)と呼ばれる仮の御陵が定められ、昼夜を分かたず、崩御から一カ月以上、大喪の礼までの間、皇族や宮内庁職員など、誰か1人は殯宮で祈りを捧げ続けました。 あの時、私はどの程度神道の様式が取り入れられるのか興味を持ちましたが、驚くほど古式ゆかしいもので、しかもそれはほとんど公開されない、という神秘的なものでした。 世界は、ハイテクの国日本で、土俗的とも神秘的とも言うべき儀式が続けられていることに驚きを隠しませんでした。 また、大...
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