社会・政治

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鳩山総理辞任

お昼休みです。 インターネットを見ていたら、鳩山総理・小沢幹事長辞任、とのニュースに接しました。  やっとか、という感じです。  普天間やら、秘書の金の話やら、子供手当やら、口蹄疫やら、色々不都合がありましたね。 しかし、一番の問題は、鳩山総理がくるくる言葉を変えて、一向に信頼できなかったことだと思います。「最低でも県外」が「できるだけ県外」になり、あげくの果てには「勉強すればするほど沖縄の米軍基地の重要性がわかってきた」なんて、長く保守政治家を続けてきた東大卒のエリートの発言とは思えません。 私は前回の衆議院選挙では、民主党に投票しませんでした。猫も杓子も民主党の状況で、元来ひねくれ者の私はなんだかファッショな感じがしたのです。 郵政解散のときも、自民党を支持しませんでした。 空気と逆に行くのが私の投票パターンのようです。 そういう意味では、次の参議院選挙では、特にブームは起きていないので、冷静に判断できると思います。あ、きっとみんなの党には入れないでしょうね。なにしろ急激に支持を伸ばしているし、名前がきらいです。「みんな」って、誰なんだ。少なくとも私は、「みんな」なんて気持ちの悪い...
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いや汁

負け犬の遠吠え酒井 順子講談社このアイテムの詳細を見る 数年前に、「負け犬の遠吠え」という本が流行りましたね。 30、未婚、子無しは「負け犬」だとか。著者自身のことでもあります。 人の多様な生き方を型にはめて本にするとはずいぶん下品な所業ですが、ここではあえてその内容は問いません。 私は、そのなかに出てくる「いや汁」という言葉が変に気に入りました。 この著書では、負け犬がかもしだす、独特のいやあな感じを、「いや汁」と言っています。 私は、この「いや汁」を、別な意味で用いています。 すなわち、働いていると出てくる、疲労をともなった、いやあな感じです。 労働による汗とか、そういう爽やかなものではありません。 油汗とも違う、実際の体液ではない、奇妙なそしていやな感じです。 一日働けば、必ず、一度や二度は意識してしまうものです。ふと仕事が暇になったときや、一段落したとき、「いや汁」は強烈に意識されるのです。 今日もたっぷりと、「いや汁」をだらだらと流しながら、職務に精励したのです。
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鳩っち

鳩っちひきいる民主党は、政権奪取から八カ月、見るも無残な体たらくに陥っていますね。「国外、最低でも県外」とあれほど言っていたのに、結局辺野古原案に限りなく近いところで落とそうとするのですね。もともと日本・米国。沖縄で合意していたこと。それをことさらに騒ぎ立て、あっちに行ったりこっちに行ったり。迷走の果ては、予想どおりでした。 霞が関にうん兆円の埋蔵金があって、7兆や8兆、すぐに出てくる、と言っていましたね。しかし事業仕分けでは1兆が精一杯。財源をどうするかは、何も言いません。世の中の役人や天下り役人は馬鹿ではありません。そう簡単にしっぽを捕まえられると思ったら、大間違いです。 ことここにいたって、鳩っちが続けても、参議院選挙には勝てますまい。言うことがころころ変わる総理では、怒りを通り越して、笑ってしまいます。 引き際を考える時期に来ているのではないでしょうか?
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ブルシット

昨日の新聞で、ブルシット、という概念が紹介されていました。直訳すると、牛の糞。転じて、たわ言というほどの意味だそうです。 アメリカの哲学者ハリー・フランクファートという人の論文に、ブルシットは嘘よりも真理にとって脅威である、と書いています。 嘘は、それが嘘であるという自覚がなければつけません。つまり、真理を知っているか、知ろうとしている者にのみ、嘘はつけるのです。 しかし、ブルシットは、真理に無関心な者が吐く言葉です。意味内容を吟味することなく、好き放題の言いっぱなし。したがってブルシットは、真理にとって強力な敵となるのです。 そしてこの新聞記事では、鳩山総理が弄している言辞は、このブルシットにあたる、と断じています。言うことが朝と夕で変わったり、命を守りたい、とか国会で演説しておきながら、安全保障の勉強をして、やっと沖縄の米軍が重要なことがわかった、と言ってみたり。 要するに、真理を知ろうとする意欲、真理に基づいた言葉がないのです。国民の歓心を買おうという欲望にとりつかれ、ブルシットを吐き続けるのです。それがいかに国政を混乱させる愚行であるか考えもせずに。 鳩山総理には、退陣しか道は...
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第2弾

またもや事業仕分けなる政治ショーもしくは集票活動が行われましたね。 事業仕分けというのは、じつは各省庁で何十年も継続して行われています。その事業が必要か、予算に無駄はないか。国の機関は常に会計検査院やかつての行政監察庁(今の総務省)から、厳しくその存在意義を問われ続けています。 私は十数年前、お茶の水女子大学で契約事務を担当していましたが、その頃から、現代において国が女子大学を運営する必要性を、再三再四、文部科学省から問われ続けました。 確かに、昔と違って、女性でもかつて男子校であった幾多の名門大学に入ることができますし、その研究教育の内容はすぐ近くに在る東京大学に比較もできません。しかしそれでも、文部科学省は当大学の存在意義を十年以上にわたって問い続け、廃止することはありません。廃止したら、すべてが途切れてしまうからでしょう。 たとえば農林水産省が所管する農業者大学校が、廃止と仕分けされました。わずか30分 で。それはなぜか。他に似たような教育施設があるからだそうです。 それならば、日本には総合大学が一つあればよいことになります。多くの大学は、似たような事業をやっています。似たような...
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