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思想・学問

歎異抄

昨日読んだ「正法眼蔵随聞記」があまりに厳しく、行うに難い内容であったため、自ら易行をもって任ずる浄土真宗の古典「歎異抄」を読みました。  しかし、その内容は私の心を打ちませんでした。ひたすらに念仏せよ、というのは、いかにも簡単ですが、それで西方浄土に行けるというのは、なかなか納得いきません。 例えば次のような言葉。「ただ自力をすてて、いそぎさとりをひらきなば、六道・四生のあひだいづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもてまづ有縁を度すべきなり」 これなどは、バスに乗り遅れるな、と言っているように聞こえます。  私の個人的趣味としては、難行であったとしても、浄土門より聖道門のほうが合っているように感じます。
文学

SM

普段、私たちは何気なくSMという言葉を使っています。サディズムとマゾヒズムの略です。  寝苦しい昨夜、深夜3時に目を覚まし、学生時代に読んだサディズムの祖、サド侯爵の「ソドム百二十日」と、マゾヒズムの祖、マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」を拾い読みしました。  いずれも幻想小説もしくは耽美主義などにちかい文学です。 いわゆる官能小説などとは異なります。  そこに描かれるのは、人間だけが持つ破壊された性衝動の姿と、少数者であるゆえの悲しみです。  サド侯爵は、その思想の強さと描写の過激さのために、獄につながれました。  近年まで、わが国においても文学作品を取り上げて、「芸術かわいせつか」などという馬鹿げた裁判がいくつも行われたのは、じつに悲しいことです。 わが国においては、表現の自由が認められています。  路上で全裸になるなどの行為は論外ですが、それが芸術として描かれたものは、すべて許されるべきです。 芸術として描かれたものとは、人間の真実が描かれているかどうか、という一点で判断すべきで、それが美しいか醜いか、劣情をそそるかどうか、などで判断されるべきものではありません。ソドム百二十日 ...
思想・学問

正法眼蔵随聞記

「正法眼蔵随聞記」を読みました。 以前から、「正法眼蔵」に挑戦してみたいと思っていたのですが、あまりのボリュームに恐れをなし、今だに読んでいません。 ある人にその話をしたら、「正法眼蔵随聞記」を勧められました。 こちらは道元の弟子が道元の言葉をメモしたもの、という形式をとっており、岩波文庫で150ページ弱と、一気に読める量です。 詩篇を読むような感じです。 感想を言えば、イメージどおりの道元禅師が、そこで話しているかのように浮かんできたことと、その言葉の厳しさです。 私はまるで、自分が責められているように感じました。  特に心に残った言葉。「寡人仁ありて人に謗ぜられれば愁ひとすべからず、仁無ふして人に讃ぜられれば是れを愁ふべし」 私はまさに、これと全く逆です。正法眼蔵随聞記 (岩波文庫)懐奘岩波書店
散歩・旅行

長い散歩

昨夜の計量で、ここ半年安定していた体重が1kg増えていたので、今日は長い散歩に出かけました。約3時間、JRの駅にして4駅分歩き、電車で帰ってきました。 先ほど冷水シャワーを浴びました。気持ちの良いものです。 計量したら、きちんと1kg落ちていました。 それにしても、散歩とは人生のごとく。 上りあり、下りあり。迂回あり、抜け道あり。 帰りの電車があっという間に今しがた歩いた道を駆け抜けるように私を運んでいくさまも、まるで三途の川を渡るがごとく、呆気ないものでした。
精神障害

診察

今日、診察がありました。 躁状態が抑えられ、安定している、とのこと。この状況が続けば、職場復帰も可能になる、と言われました。 精神科医は、うつ状態より躁状態が危険である、と考えているようです。 私としては、躁状態は気持ちが良いのですが。 いずれにしろ、職場復帰と聞いただけで、私は震え上がりました。
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