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精神障害

精神病患者の会

隣の市で、毎月一回、精神病患者及び家族が集まり、話し合いを行っています。 私もかつては、これに参加していましたが、話が純粋に病気のことに止まらず、制度をどううまく利用するかとか、どう医者に言ったらより重い障害者手帳をもらえるか、とかいうところにいくに及んで、私は出席を止めました。 つまり、重度の精神障害が認定されれば、それだけ多くの障害者年金が得られるわけですし、生活保護の認定を得られれば、遊んで暮らせる、というわけです。 私は病気を治し、職場復帰を目指しているわけですから、いらぬお節介というべきです。 しかし、そうはいっても、当然、病気治療の話に多くは割かれるわけですから、再度、出席してみようかと思っています。 そこでできた人間関係も大事にしたいですから。
精神障害

寢逃げ

今日も体調芳しからず、朝からずうっと寝ていました。 寝ても寝ても寝たりないのです。 これから、また寝ます。
文学

砂粒

あらゆる古典は、人類にとって金や銀です。歴史という風雪にさらされながら、生き残ってきたのです。それに触れずしては、この世に生まれた意味は半減します。 一方、歴史の風雪に耐えられなかった芸術作品も多くあります。 それらを、倉橋由美子は、「砂粒のような作品」と呼びました。 しかし、多くの砂粒があったればこそ、金や銀の貴重さがわかるのだ、とも。 今、生み出されている芸術作品が遠い未来において、金や銀になりうるかどうかは、神のみぞ知るところです。 しかし、砂粒も悪くはありません。それが金や銀を輝かせるのであれば。 ことは、芸術に限ってはいません。 人生全般においてそうです。  私の人生が、精神的病に冒され、無価値なものであったとしても、堂々と、私は砂粒だ、と言えれば、良いでしょう。例え自殺しようと、それは砂粒にとって精一杯だったということです。
精神障害

体調不良

今日はうつ波がきているようです。天気が悪いせいもあるでしょう。私のような無用な人間は早くこの世の中から消え失せた方が良いのです。しかし、死ぬのも怖いのです。
文学

能楽

最近、能楽の全集を手に入れ、これをぱらぱらとめくっています。 もとより、私は能楽に関しては数回の鑑賞経験があるだけの、素人です。  日本の古典文学は、美と仏教とが融合したものと思われます。  古くは、美を代表する「源氏物語」や「新古今和歌集」などと、仏教を題材とする「今昔物語集」などに二分されていたように思いますが、能楽の完成に至って、これらは融合されました。 幽玄の美、と称せられる能楽には、たいてい、僧侶ともののけが同時に登場します。言うまでもなく、もののけは、美や、この世ならぬものへの予感、つまり芸術そのものを表し、僧侶は仏教哲学を代表します。これらが互いに主張したり、戦ったり、最後には大団円へと向かうさまは、圧巻です。 能で演奏される音楽も、見事にそれらの融合を表しているように感じられます。 最大の難点は、能面をかぶったりしているため、セリフが著しく聞き取りにくく、眠気を誘うことでしょう。
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