○○の娘

文学

  スターリンの一人娘、ラナさんが85歳で亡くなったそうですね。
 16歳の時の初恋の相手は10年間も流罪に処せられたとか。
 その後旧ソ連で三度結婚、いずれも離婚または死別しました。
 三度目の夫の母国であるインドに夫の遺灰を返すため渡ったとき、旧ソ連のパスポートを燃やし、亡命を宣言、米国籍を取得しました。
 時に冷戦真っただ中の1967年。
 堂々と共産主義を批判し、スターリンやクレムリンの実情を描いた著書はベストセラーになりました。

 米国では、ある者からは共産主義の悪魔、スターリンの娘と罵られ、またある者からは共産主義の悪魔から逃げ出した英雄と称えられ、どちらにしてもスターリンの娘という呪縛から逃れることはできませんでした。

 
晩年のラナさんです。


 
父、スターリンに抱かれるラナさんです。

 
○○の娘というと思いだすのは、
更級日記」の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ですねぇ。
 本名は伝わっていません。
 日本では著名な女性でも
○○の娘とか、××の母、としか伝わっていない人がけっこういるんですよねぇ。

 スターリンの娘とは何の関係もありませんが。

 「更級日記」というと、「源氏物語」に夢中になる様が、次のように記されています。

 はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。 
 昼は日ぐらし、夜は目の覚めたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらに覚え浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。
 物語のことをのみ心にしめて、我はこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。

 
平たく言えば、

「心をわくわくさせながら昼も夜も夢中で『源氏物語』を読んでいるが、夢のなかで坊主に早く『法華経 五巻』を学びなさいと言われたが、そんなことは知らん、物語に夢中で、自分もいつかは夕顔のような美人になれるかなぁなんて思っていた頃は我ながらあきれる思いだ」

 というほどの意味でしょうか。

 いずれにしても、いつの時代にも現実よりも虚構の世界を愛し、虚構に住みたくなる人というのがいるものです。
 
 今は文学の他にも映画やドラマや漫画などで、多くの物語に簡単に入り込めるので、そういう人にとっては幸せな時代かもしれません。
 私は幸せです。

 しかし、虚構のような世界を現実として生きるのは過酷なことだろうと思います。
 スターリンの娘は、何不自由なく育ちましたが、父親の死後祖国を捨て、敵である米国に飛び込んでいきます。
 米国では本を書いたりインタヴューに応じたり、やはり収入には困らなかったであろうことが想像されます。

 最晩年
「米国では一日も自由な日はなかった。米国での40年で得るものは何もなかった」などと述懐したそうです。

 切ないですねぇ。

 ドラマになるような波乱万丈な人生や燃えるような恋愛というのは、他人事として眺める分には面白いですが、自分がそれを生きるのはしんどいですねぇ。

 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)「源氏物語」に陶酔しながらも、その時代の貴族の女性としては、ありがちな人生を送ったのでした。

 晩年に書いたと思われる
「更級日記」には、仏教への傾倒が見られるばかりで、物語と現実についての言及はありません。

 かつて源氏に夢中になった少女は、老境に達してかつての自分をどう思っていたのでしょうね。
 
 常識をわきまえ、真面目に凡庸な人生を生きながら、精神の奥深くに過激さを秘めているというのが一番楽しいような気がしますねぇ。

更級日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
川村 裕子
角川学芸出版

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