古い話で恐縮ですが、文芸春秋が売上100万部を超えたのは、「エーゲ海に捧ぐ」と「僕って何」が芥川賞を同時受賞したときと、「昭和天皇独白録」を掲載したとき、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が掲載されたとき、金原ひとみの『蛇にピアス』と綿矢りさの『蹴りたい背中』が掲載された時の、わずか4回だそうです。
「エーゲ海に捧ぐ」と「僕って何」の組み合わせ、絶妙であったとみえます。
前者はきんきらきんに光り輝く、神話的な性愛の世界を描く耽美的なもの。
後者は学生運動に身を投じてなれないヘルメットに角材で武装して、街頭活動をやってみるものの、すぐに逃げ出して、僕って何者なんだ、と自問自答するという地味でありがちな湿っぽい青春文学。
両者は正反対のようでいて、意外にも共通点を持っているように思います。
「僕って何」の作者、三田誠広は、高校時代、学生小説コンクールでグランプリをとっています。
それがまた、くらぁい小説なのですよ。
「Mの世界」というのですが、おそらく著者自らのイニシァルからとったと思われるMなるやつがぐじぐじぐじぐじ思い悩んで、最後は自殺を図るという、わが国近代文学のつまらないエキスばかりを引き継いだような気味の悪い作品です。
池田満寿夫は、では、根っからのきんきらきんが大好きな芸術家なのかと思うとそうでもなくて、結構ぐじぐじしていた時代もあったようです。
「池田満寿夫ー日付のある自画像」では、太宰治や萩原朔太郎などのセンチメンタルで暗い作品に心酔した若い日々のことが書かれています。
一方三田誠広は、「漂流記1972」という連合赤軍事件に取材した長編を、むしろ軽いユーモア小説のように描いて、一皮むけた感があります。
ただ、いつまでも学生運動に関する小説を書いていたのでは、読者はついていけないでしょうね。
時の流れは残酷なものですねぇ。
1977年に仲良く一緒に芥川賞を受賞した三田誠広と池田満寿夫、その後の人生はずいぶん変わりました。
池田満寿夫は小説にとどまらず、彫刻、絵画、映画制作と幅広く活躍し、癌で亡くなってしまいました。
三田誠広は小説一筋に地道に作品を積み重ね、ベストセラーはないにせよ、老大家の風格を身につけています。
最近では仏教や日本古典への言及が多いようです。
日本の文化人というのは、どういうわけか老大家になると、日本回帰するのですね。
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