昨日「猿の惑星 創世記(じぇねしす)」を観ていて、つくづく人間を始めとする霊長類は、争いごとが好きなのだなぁと感じました。
考えてみると人間のやることと言えば、食うための労働と、子孫を残すための生殖と、おのれもしくはおのれの同族全体の欲望を満たすための争いに終始しているように見えます。
どんな小さな組織でも、小さな権力闘争やら出世争いがあり、しかも人はそういう話が大好きですね。
物語といえば生殖のためでしかないはずの男女間の恋愛を描いたものと、戦国絵巻のような権謀術数渦巻く争いのものばかり。
NHK大河ドラマがもっぱら戦国時代や源平の争乱、幕末など、乱れた時代を題材に選ぶのは、視聴者が殺し合いや権力闘争の話を好むからに他なりません。
どうせ放っておいても死ぬ者同士が、敵だからとか拝む神様が違うからという理由で殺し合うとは誠に愚か。
Love&Peaceのような、理屈もへったくれもなくひたすらに平和を願う運動が流行ったり、反核平和教のようなものが戦後日本社会を席捲したのもゆえなしとしません。
マクロの視線で世の中を見れば、無責任とも言える平和主義が、至極もっともに思われます。
しかしミクロの視点に立つと、世の中の光景は一変します。
暗い夜道を歩けば襲われるかもしれず、暴力団やら犯罪者やらが公道を闊歩し、詐欺師がお年寄りを狙う怖ろしい世界。
国際情勢を見回しても、正義面をぶら下げた米国は世界一多くの大量破壊兵器で武装し、イスラム過激派はテロを繰り返し、中国は恫喝めいた外交を繰り広げ、一人日本だけが平和主義を掲げるのは到底不可能で、現に自衛隊と米軍とで重武装しています。
挙句の果てには、マクロの視点で正しい絶対平和主義と、ミクロの視点で正しい防衛論議がかみ合うはずもなく、互いの間違いを指摘して攻撃しあったりして、面白いですねぇ。
昔社会党左派は平和を闘い取るなんて、言語矛盾のようなことを言っていましたっけ。
結局人間は霊的進化を遂げないかぎり、永遠に愚かな争いを繰り返すんでしょうねぇ。
それが洗練されて武力による闘争から経済競争になったとしても。
あぁ、やれませんねぇ。
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