帰宅してひとっ風呂浴び、粗末なつまみでウィスキーのロックをちびちびやっています。
私の今の生活は、まさしく酔生夢死。
酔いながら生きて、夢のように死んでいく準備を進めているかのごとくです。
しかし、それも悪くないと思います。
圧倒的多数の凡人にとって、達成すべき目標など存在せず、そうであるなら日々の小さな幸せを追い求めることこそが、幸福感を得る近道でしょう。
人によって、それは日々の晩酌であったり、パチンコであったり、スポーツであったり、様々でしょう。
私は物語に接したり、耽美的な美術作品を鑑賞することを好みますが、何しろ手っ取り早く気持ちよくなれるのは、飲酒であるに違いありません。
アルコールは極めて習慣性が高く、日々晩酌を続けていると、暗くなってきただけで酒が恋しくなります。
で、今日も一杯、明日も一杯という仕儀に相成るわけです。
限られた人生、楽しまなくては損ですしね。
私にとっての楽しみは、目下の所、酒を以て嚆矢とします。
若い頃はフルーティな冷酒やワインを好みましたが、やがてウィスキーやバーボン、ブランデーなどの、アルコール度数が高くて酔い醒めの良い洋酒を好むようになりました。
お好みは年とともに変化するようです。
しかし私はよほど欲深に生まれついているようで、酔生夢死の幸せな生き方を、潔しとしません。
40代半ばに達してなお、物語作者でありたいという暗い欲求を捨てきれずにいます。
主治医に禁じられるままにそれを断念して何年も経つのですが、密かに、思いついた着想をメモし続けています。
それは毎日増えていきます。
毎日。
双極性障害というのは完治することの無い業病で、抗うつ薬を切ることは出来ても、躁を抑える薬は生涯飲み続けなければなりません。
それほど躁状態というのは怖ろしいもので、しかも私が物語を紡ごうとすると、薬の威力など何の力も発揮せず、私の脳内麻薬が噴出し、神様のような傲慢さで、物語を紡ぐのです。
その快感は、なかなか忘れがたいものです。
それを禁じられている私は、まるで警察からGPSを付けることを義務付けられた性犯罪者のようなものです。
私にとっての物語制作は、言わば性犯罪者が性犯罪行為に走るかの如き快感を伴っていると言えましょう。
よくもまぁ、医者の言いつけを守って、きちんと服薬し、くだらぬブログの記事更新で我慢しているものだと、我ながら感心せずにはいられません。
人生も後半に入って、私がこのまま健康を第一として酔生夢死の小さな幸せで満足できるのか、あるいは医者の言いつけを無視して私本来の欲望に従ってしまうのか、今、私はおのれが怖ろしいのです。