このブログをご愛読くださる方にとっては言わずもがなの知れたことですが、私は怖いお話が大好きです。
そして現代ほど、怖い映画や小説が多数作られる時代はなく、真に喜ばしいかぎりです。
古来、文学や芝居では、お話を大きく2つのジャンルに分けていました。
悲劇と喜劇、能と狂言、和歌と狂歌、俳句と川柳。
これらはいずれも、シリアスなものか笑えるものか、によって類型化されています。
しかし笑いを求める人々は気が短くなったのか、あるいはストーリーを追うという面倒な作業が嫌われるためか、喜劇は衰退し、代わって一発ギャグとかスタジオ芸などの、短くてナンセンスなものが幅を利かせるようになったと感じます。
私は今となってはシリアスなものと笑えるものという類型は形骸化したように感じます。
むしろ今作られている作品群を類型化するならば、恋のお話か怖いお話に分けるほうが実状に合っていると思われます。
当然私は恋のお話には退屈し、怖いお話に胸高鳴らせる者です。
しかしさすがに怖いお話もパターンは出尽くした感があり、ただ残酷でショッキングなだけではない、怖くて格調高くて美しい作品にはなかなか出会えないものです。
で、人間何が一番怖いのかと思案してみるに、殺されるのが怖いのは当然として、その前段に闇が怖いのだろうと思います。
はるか昔、人間が火を操る術を持たなかったころ、夜の闇は何よりも怖ろしかったことでしょう。
闇に潜むのは鬼や魔物ではなく、人間を食おうと欲する肉食獣の現実的な恐怖。
今でいえば殺人鬼の地下室にとらわれたような感覚を、太古の人々は毎夜味わっていたのではないでしょうか。
その嫌な感覚を求め、金を払って怖いお話を観たり読んだりすることを好む私は、真に悪趣味であると言わざるを得ません。
そして悪趣味なやつのなんと多いこと。
しかも私は秋刀魚や鯵などの魚の死体に触れることが出来ないため、一人では焼き魚も焼けず、ゴキブリが出ても殺害することをためらい、逃げて回っている臆病者でもあるのです。
不思議なことに同じ死体でも焼きあがった後の魚だと平気になるのですから、食い気も旺盛ということでしょうか。
怖いお話を好む者はたいてい怖がり。
恋のお話を好む者はたいてい惚れたはれたが大好き。
どちらも人間が生き残っていくために必要な原初的な感情です。
原初的な感情を刺激するのがお話の基本的な役割だとしたら、私はきっと原始的な生き物なんでしょうねぇ。
今日もまた、原初の恐怖を取り戻すため、DVDを物色に出かけるとしましょう。