今朝、東大寺では、年に一度のお身祓いが行われたそうです。
要するに大仏のお掃除。
作業にかかる前、大仏の魂を抜く法要が営まれた後、白装束の僧侶や信者たちが、あるいはよじ登り、あるいはゴンドラでつるされ、あるいは命綱をつけて大仏を磨き上げたそうです。
作業中はもうもうと埃があがり、この埃をかぶると1年間無病息災だと信じられ、信者たちは進んで埃を浴びたとか。
そんなもの浴びたら喉をやられちゃいますよ。
東大寺には中学三年生の時修学旅行で初めて訪れ、その後何回か訪れています。
そのたびに、奈良時代のわが国の人々が、どんな思いで大仏を造営し、それを拝んだのか、不思議な気持ちになります。
国家の大事業ですから、無駄な公共工事だと思った者も多いでしょう。
また、この事業に関わることで解脱できると信じた者もいたでしょう。
静かに座るあの巨大な仏には、様々な当時の人々の思いが染み込んでいるようで、いつ観ても圧倒されます。
聖武天皇によって743年に大仏建立が発願され、752年、開眼法要が盛大に執り行われたようです。
工事に関わった者のべ260万人、現代のお金で4,657億円もの巨費が投じられたというから驚きです。
奈良の大仏、正しくは華厳経に説かれる盧舎那仏という名の仏なんですよね。
仏教には阿弥陀仏だとか大日如来だとか釈迦如来だとか久遠実成本仏だとか、色々な仏様が登場しますが、基本的に同じ者だと考えてよいでしょう。
仏教では誰にでも仏性があり、修行を積めば生きながらにして悟りを開き、仏になれると説きますから、数限りない仏が存在する道理です。
私は修行せずに、自らの思考の旅の果てに見事即身成仏を成し遂げて、とびお仏と呼ばれたいものです。
あ、これ、危ないですね。
ヨーロッパの精神病院にはそこいら中にナポレオンだのキリストだのを名乗るやつがいるそうですから。
躁状態の症状の一つなんですよねぇ。
自分が万能だと思いこんじゃうというのは。
じゃあとびお仏ではなくて、とびお菩薩くらいにしときましょうか。