くすむ

文学

 午前中、会議でした。

 真面目くさった顔をして、目の前の瑣末事がさも一大事であるかのごとく、がん首そろえてひそひそ話。 
 私としては分担も責任もないその会議に、ただ担当係の一員だからと、晒し者のごとく座っているのは、気持ちの良いものではありません。  

 タイトルの「くすむ」は古い言葉で真面目くさっていることの意です。  

 なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ  

 「閑吟集」に出てくる小歌です。

 
 どうも私は、会議などで真面目に議論していると、可笑しくなってしまう癖があります。法事などでも、坊主のお経を神妙に聞いている人たちを見ると、可笑しくなります。 
 あるとき、浄土宗の法事に参列して、みんなして小さな木魚を叩かされたのには参りました。素っ頓狂なリズムで叩く婆などがいて、吹き出しそうになるのを何度もこらえました。

 
夢の浮世にただ狂へ とどろ とどろと なる雷(いかづち)も 君と我との中をばさけじ

 
こちらは「閑吟集」よりだいぶ後に編まれた「慶長見聞集」にみられます。

 狂うというと、気が狂うみたいですが、要するに一心に遊べ、ということですね。
風狂なんて言いますが、日本では古くから、現世を夢に見立てて、世を捨て、
風狂に生きることを理想とするような風潮がありましたね。

 復職して一カ月以上がたち、まことにめでたく一日も休まず出勤しているのですが、ないものねだりの贅沢な私は、世捨て人に憧れたりするのです。