さっさと死ねるように

文学

 麻生副総理兼財務大臣、なかなかイカした発言をかましてくれちゃったようです。

 「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」

 だそうで。

 これ、死期が近付いたご当人が言うならともかく、他人が言うことじゃないですねぇ。
 まるで姥捨て山みたいな発言です。

 財務責任者としてそんなことを思う気持ちは分からないでもないですが、それ言っちゃあおしまいよみたいな感じです。

 死期が近付いて、覚悟を決める人もいるでしょうが、自分だけはそう簡単に死なないと思いこむのも人情です。

 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを

 と詠んだのは存原業平でした。
 「伊勢物語」に見られます。
 希代のプレイボーイの辞世としてはありきたりな感じがしますが、多分偽らざる心境だったのでしょうねぇ。

 名画「楢山節考」では、寒村の掟に従って老いた母を山の上に捨てに行く様子が描かれます。
 一面人骨だらけの山の一隅で、老いた母は雪の中静かに端坐し、手を合わせて死を待ちます。
 鬼気迫る場面でした。
 この母は黙って掟に従いますが、なかには抵抗する老人もいて、老いた父親を籠に閉じ込めて背負って山を登る途中、父親が背中で暴れるので山から突き落として殺害するという残酷なシーンもありました。
 
 この作品でも覚悟を決めた者と生き残りをかけて暴れる者が対比されています。

 死という事態、生きている者には全く未知の世界で、死んでしまった者はもう死がどういうことなのかを語る術を持ちません。

 未知だからこそ人は死を怖れ、神道では死を穢れと見るのでしょう。

 そのような多くの人が恐怖する事態を、高齢者だからと言って怖れなくなるなんてことはありますまい。

 いつまでも元気で生きていたいのが、人間だけでなく生きる者すべての究極の願望でしょう。
 だからこそ、古来、権力者は不老長寿の妙薬を必死で探したわけです。

 自分の死をめぐる切ないばかりの人々の気持ちを、麻生副総理兼財務大臣は、いかにも易々と切って捨てたものです。

 国家財政の窮乏は多くの国民を不幸にするでしょうが、それ以上に、高齢者には早く死んでもらいたいと思う政府高官の存在は人々を精神的に追い込むに違いありません。

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