太平の 眠りをさます 上喜撰(じょうきせん) たった四はいで 夜もねられず
ペリー提督が黒船を率いて浦賀に入港したのは、今から159年前の今日、1853年の7月8日のことでした。
その後江戸中は上を下への大騒ぎ。
そんな世相を皮肉って、上の狂歌が江戸で流行りました。
今でいえば、突然火星人が攻めてきたくらいのインパクトがあったんじゃないかと思います。
ペリーの写真です。怖そうですね。
ペリーの人相書きです。あまり似ていないような。
ペリーがそのまま攻め込まず、一年後にまた来る、と言って去ったのには、まことしやかにささやかれる理由があるそうで。
伊能忠敬の日本全図を見たペリーは、このような正確な地図を作れる有色人種には初めて出会った、このような高い技術をもっているということは、もしかしたら軍事的に強大である可能性を否定できない、ひとまず帰るべえ、となったというのです。
そうだとしたら、伊能忠敬、Good Job!ですね。
その後日本は幕末の動乱を経て大日本帝国となり、富国強兵の道を突き進むことになります。
歴史にifは厳禁だと言いますが、日本が朝鮮のように白人を蔑視して鎖国を貫こうとしたらどうなっていたのでしょうね。
時代の趨勢から言って、大英帝国だかフランスだかオランダだかの植民地になっていたかもしれません。
そうしたら今でも有色人種は差別され、あっちもこっちも白人が威張り散らす植民地だらけだったかもしれません。
大日本帝国が有色人種として初めて世界の主要プレーヤーになり、列強に伍することになったのは、わが国の宿命。
日露戦争の勝利は、世界中の虐げられていた有色人種を狂喜させたそうです。
その後太平洋戦争の敗戦で大日本帝国は滅亡しましたが、まだたった一回負けただけのこと。
世界の終りがやってきたわけではありません
わが国はこれからも、他の国々と同様、時代の標準的ルールに従って、パワー・ゲームを続けなければなりません。
この世に安全な場所などどこにも存在しないように、熾烈な競争が行われない社会もないのですから。