たまの幸福感

精神障害

 土曜日の朝。
 今朝は7時に目覚めました。
 白飯をたっぷり食いたいと思って、そのためにはおかずを減らすことだと、塩らっきょのみ。
 塩らっきょのみで白飯をたっぷりと食いました。
 腹がくちくなれば眠くなるのが人情というもので、朝食後、ソファで眠っしまい、起きたら11時。

 コロナの前はよく東京まで出かけて様々な町を歩き回りましたが、もう1年以上、そういうことはしていません。
 家でダラダラするばかりです。
 こういう生活に慣れてしまうと、出かけるのがひどく億劫になります。

 昼は徒歩10分弱のイタリア料理店で軽いコース料理を食う予定。
 自宅の目の前のイタリア料理店がコロナ禍で閉店してから、土曜日の昼はそういう仕儀となりました。

 夜は魚屋で魚を購入して一杯。
 土曜日のルーチンのようになっています。

 また都内散歩を楽しむ日が来るのでしょうか。
 仮にそんな僥倖が訪れたとして、出かける気力体力があるかどうか。
 このまま千葉市内で完結してしまいそうな気がします。

 夕方は月に一度の精神科。
 もう何も相談することとて無いのですが、薬が無くなるのが怖くて、真面目に通っています。

 精神障害を発症して良かったとは思いませんが、今まで見えなかった世界を見られるようになったこともまた事実。
 自助グループやリワークプログラムに参加して、じつに多くの精神病患者と知り合いになったお陰で、生きにくい世の中を薬の力を借りて必死で生きているその姿を見て、まばゆいばかりの生の力を感じます。

 生きるということは誠にしんどいですが、誰もがしんどさに耐えて生きています。
 なかにはしんどさに負けて自殺してしまう人もいますが。
 私の後輩に27歳で自殺してしまった者がいました。
 もう四半世紀も昔のことですが、今思い返しても胸が痛みます。
 私の後任者で、それだけにその席の辛さはよく分かります。
 特に年度末を越えるのは大変な労力で、完徹したことも一度や二度ではありません。

 私は別の機関に異動していたので、自殺前後の彼の様子は知りません。
 せめて私がその機関に留まっていたのなら、彼を少しはサポートできたかもしれないと思うと、やり切れません。

 その後、私は精神を病んで、自らも強い希死念慮に悩まされることになり、ますます彼の心中が察せられて、ついには悪夢に苦しむことになりました。

 今、私は服薬治療を続けながらとは言うものの、苦役でしかない労働に耐えられるまでに回復し、もう10年以上がたちます。
 あの時自殺しなくて良かったと、つくづく思います。

 毎日が憂鬱ではありますが、それだからこそ、休日の嬉しさや、ちょっとした幸せに、強い幸福感を感じるようになりました。
 この、時折訪れる幸福感を大切にして生きていきたいを思います。

 人間、たまの休みや時折の幸福感だけでも生きていけると思うのです。