また猫と

文学

 今朝は朝一番で内科に行きました。
 4カ月に一度の血液検査のため、採血があったからです。
 その後しばし休んでそごう千葉店に行きました。
 今使っているバスタオルが大分くたびれてきたからです。
 ネット通販でも良いのですが、身に着ける物と同様、手触りを確かめてから購入したいと思いましたので。
 で、少し高いけど極めて肌触りの良いバスタオルを2枚購入。
 その後昼食を摂り、本屋へ。
 文庫本の小説を2冊購入。

 帰宅してから、かねて購入してあった歌集を読みました。
 「また猫と」という猫の挽歌集です。
 歌人は大の猫好きで、多くの保護猫を飼ったり、里親とのパイプ役になったり、猫無しの生活は考えられない人のようです。

 私はたまに愛でるくらいなら良いですが、飼うのは犬も猫も絶対に嫌です。
 実家で犬を飼っていたことがあり、野良猫を餌付けしたりもしていました。
 犬猫は当たり前ですが生きているので、その体温が暑苦しく、しかもほぼ確実に10数年で死んでしまうし、金はかかるしで、私にとって良いことは何もありません。

 で、「また猫と」

 不謹慎 かもしれないが猫の死は ひとのそれよりこたえてしまう

 老猫と居て 代わり映えしない日が 当たり前ではなくいとおしい

 起きたけど いた猫がもういない世界 また起きたけどまたいない世界

 看取るまで じゃなくそこから立ち直る までが「猫を飼う」っていうこと

 これらの短歌群。

 混じりけ無しの猫への愛情が感じられます。

 それにしても人はいつから猫を飼うようになったのでしょうね。
 犬はおそらく狩猟などで役に立つので飼い始めた理由がなんとなく想像できますが、猫は単に愛玩する以外、何の役に立たないはず。
 せいぜい鼠を捕まえるくらいでしょうか。

 しかし世の中には多くの猫好きがいて、せっせと猫の世話をしています。

 なんでも米国では、男が猫を飼うのはオカマみたいで格好悪いとされているとか。
 男なら大型犬、というのが常識だそうです。
 そんなことまで男女差別しなくても良いのに。

 猫の挽歌集、猫好きでなくてもその寂しさ、切なさが心を締め付ける作品になっています。

 どうか老猫が安楽な最期を迎えむことを。
 また、亡くなった猫 が安らかであらむことを。