幻想文学というくくりがあって、これはずいぶん大雑把な分類で、SFやミステリーから、ホラーやらファンタジーやら、様々な分野の作品を包含しています。そのものズバリのタイトルを冠した雑誌もあって、幻想文学はわが世の春を謳歌しているかの如くです。
その起源は神話に求めるのが一般的ですが、今ではサド侯爵もマゾっホもその仲間に入れられて、「指輪物語」などと一緒くたにされて、惨状目をおおうばかりでもあります。
あまたある幻想文学の中でも、「家畜人ヤプー」は最高峰に位置するものでしょう。沼正三という作者は決して表に出ることはなく、この天下の奇書をものしたのはどういう人物なのか、今だに謎です。一説には渋澤龍彦ではないか、という噂も流れましたが、不明です。
その渋澤龍彦や三島由紀夫が絶賛し、ベストセラーにもなったこの小説は、じつに奇怪でグロテスクな内容です。
遠い未来、日本人は白人の家畜となっていて、高度なバイオテクノロジーにより、用途別に改造されているのです。
たとえば便器。便座型に改良された哀れなヤプー(日本人の未来)は、「セッチン」と白人に命じられると、口をあけて大小便を飲み込むのです。
その他掃除機だったり、愛玩用のペットだったり、ありとあらゆるものに形を変えて、白人に奉仕しているのです。
評論家の中には、先の大戦で英米に敗れたことのコンプレックスを表しているとか、究極のマゾヒズムとか書きたてました。
しかし、マゾヒズムというのはいわば性欲の一つとしてのプレイであって、ここまでシステマティックになってしまっては、そうは言えないと思います。
敗戦のコンプレックスにしても、ここまで書く動機としては弱いでしょう。
私は、純粋なサディズムではないかと思います。マゾヒズムというのは受動的で、サディズムというのは能動的ですね。
小説を書く、という行為は極めて能動的です。能動的な作者が、おのれの暗い欲求を満足させんがため、そして、世間をあっと言わせるため、あのような奇面人を驚かす作品を書いたものと想像します。
しかもそれは見事に成功しましたね。もう二十年も前に読んだ小説をはっきりと覚えていて、時折読み返しては、気持ち悪くなったりしているのですから。
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