ようやっと、4月中旬らしい、暖かい日差しが感じられる僥倖に恵まれました。
このところすっきりしない天気が続いたため、ありがたく感じられます。
しかし、桜が散った後の春雨に抒情を感じさせる和歌もあります。
花は散り その色となく ながむれば むなしき空に 春雨ぞ降る
新古今和歌集にみられる式子内親王の和歌です。
![]() | 新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫) |
久保田 淳 | |
角川学芸出版 |
![]() | 新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫) |
久保田 淳 | |
角川学芸出版 |
桜が散ってしまった風景を眺めると、桜を求めるというわけではないけれど、春雨が降って、なんとなくむなしく感じられる、といったほどの意かと思われます。
なるほど、桜の狂的な咲き乱れぶり、散り乱れぶりを思えば、その狂気が終わってしまったのですから、後に訪れた静かな、暖かい雨には、何か気が抜けたような、一種のむなしさを感じるのも、むべなるかな、と思います。
一昨日までの雨続きは、そんな春の憂愁を感じさせつつも、初夏への期待を感じさせるものでしたね。
それを過ぎなければ、爽やかな初夏は訪れないのですから。
しかし、爽やかな初夏の後には、過酷な猛暑が待っています。
地域にもよるのでしょうが、概ねわが国は蒸し暑い夏が過酷で、日本家屋というのは夏を快適に過ごすことを旨として建てられているものです。
エアコンも扇風機も無かった時代、開放的な家で自然の涼風を求め、さらには打ち水などでやり過ごしたのでしょう。
風鈴なんて、少しでも鳴っていれば気分的に過ごしやすくなりますが、全く鳴らなかったら、かえって暑さを倍増させます。
さらには、怪談話で冷やりとしようなんて、ずいぶん悠長な話です。
わが国では何よりも四季折々の風情を楽しみ、和歌や俳句はもちろん、着物や手ぬぐいの柄にも季節の風物をあしらうことを良しとしてきました。
そうであるならば、桜が散り、しかし初夏にはまだ間がある気が抜けたような今の季節をも、その風情に情趣を覚え、楽しむのが上策というものでしょう。