私が就職した約30年前、22歳の頃、体重は53キロでした。
身長は165センチと小柄で、やせ型でした。
その後多少の増減はあったものの、概ね体重をキープしてきました。
ところが36歳~40歳頃にかけて、双極性障害のうつ症状で3度も半年以上にわたる病気休暇を繰り返し、その間、食っちゃ寝生活を続けた結果、20キロ以上太り、74キロにまでなり、糖尿病の治療を開始しなければならない状態にまで陥りました。
その頃父が他界。
そのショックで食欲が極端に失せ、酒ばかり飲んでろくに食わない生活を続けた結果、わずか1年で体重は48キロにまで減少。
変な言い方ですが、飲酒ダイエットみたいな感じです。
やたらと寒がりになり、力が入らなくなりました。
これではまずいと思い、無理をして食うと戻してしまうの繰り返し。
体重はなかなか戻りませんでした。
しかし、人間というもの、どんなショックを受けても、時の流れとともにそれは和らぐようにできているようで、少しづつ体重は増え、今は53キロに戻りました。
それとともにすこしづつ、嗜好が変化してきました。
まず、珈琲を好むようになったこと。
前は珈琲を飲むとドキドキするので、味は嫌いではなかったのですが、飲まずにいました。
しかし、父を亡くして落ち込み、酒ばかり飲んでいた頃、しじゅう二日酔いになって、頭をしゃっきりさせるために珈琲を飲むようになりました。
わざわざ珈琲問屋という店から色々な珈琲を購入しては味を確かめ、今はエメラルドマウンテンしか飲まなくなりました。
それも濃いやつをブラックで。
珈琲王という珈琲メーカーを買い、せっせと飲んでいたら、カフェインが切れると不快になるという中毒のようなことになってしまいましたが、酒は大幅に減って、体調がよくなりました。
次に、少しですが甘い物を食すようになったこと。
以前は甘いものは一切口にしない、辛党だったのですが、今は辛党寄りの二刀流になりました。
三つ子の魂百までと言います。
それは嘘ではないと思います。
私は幼いころから怖いお話が大好きで、今もホラー映画のコアなファンですから。
しかし、時間とともに変わっていくことも確かで、体重の変遷、嗜好品の変化がそれを物語っています。
変わらないものもあれば変わるものもある、最近、そう実感します。
そしてまた、まだ現役バリバリでなければならない50歳の私は、日ごとに過去の、元気に遊び暮らしていた20代の頃への追慕の念を深くします。
ああ、やるせなき追慕の是非もなや。
衰え疲れし空に鵯(ひよどり)の飛ぶ秋、
風そよぎて黄ばみし林に、
ものうき日影漏れ落つる時なりき。
永井荷風がお気に入りのフランスの詩を文語調で訳した「珊瑚集」に見られる一節です。
私はもはや若くはなく、かと言って老人でもない、人生の秋にさしかかったようです。
まさに、ものうき日影落つる時、です。
気力・体力の衰えは隠しようもなく、最近、老眼鏡を作りました。
山田風太郎は自らの老いを、老いると言うことは昨日できたことができなくなるのではなく、さっきできたことができなくなることだ、と書いています。
長生きすれば、山田風太郎の言葉に納得する日がくるのでしょうね。
私は衰え行く自らの精神と肉体を冷静に観察し、それに対処しなければなりません。
結局私は、何をも為さず、ただ時を無駄に過ごしてきました。
君過ぎし日に何をか為せし、
君今ここにただ嘆く。
語れや、君、そも若き折、
何をか為せし。
私はただ、憂色濃く、死と悪に惹かれる「珊瑚集」の残酷な一節を口ずさみながら、カフェインが切れた頭に酒を注ぎ、少しばかりの安寧を求めるばかりです。