人生、いくつになってもやり直しができる、という言説を時折耳にします。
特に、犯罪を犯して服役し、出所するときなど、挫折から立ち直ろうとする人へのエールとして使われることが多いように思います。
しかし私は、やり直し、という言い方に違和感を感じます。
起きてしまった過去は変えようが無く、したがって、やり直し、と言っているのは、おそらく新しい道に踏み出そう、という意味かと思われます。
人間というもの、生まれおちた瞬間から、死に向かって一直線に突き進んでいくのが、悲しい現実です。
1秒たりとも過去に戻ることはできず、過去を無かったことにすることも、過去を変えることもできません。
要するに、やり直しなんて出来ないのです。
そのことを、特に中年以上の世代は肝に銘じるべきでしょう。
それでもなお、過去のキャリアもしくは恥ずかしい過去を捨てて、新しい道を探りたいということであれば、それはやり直しなどであるはずは無く、新たな出発と言うべきでしょう。
しかしそれはなかなか容易なことではありません。
特にわが国のように、労働者の流動性が低く、一つの職場で定年まで働くのを良しとする社会においては。
私の先輩に、木っ端役人を40歳で退職し、鍼灸師を目指している人がいます。
大した度胸だと思います。
木っ端役人を続けていれば、安いとはいえ安定した収入が得られ、銀行などからの信頼も厚いため、住宅ローンやカー・ローンを組むのも簡単です。
これをやり直しとは言いませんね。
単なる転職です。
多分、宮仕えがほとほと嫌になってしまったんでしょうねぇ。
まぁ、気持ちは分かります。
私にはそんな度胸はありません。
就職して22年目、知識も増え、経験も積んだがゆえ、勘も働くようになりました。
未だにサラリーマン生活に慣れることができず、日々苦痛ですが、安月給とはいえ、転職したら今以上に給料が下がるであろうことは目に見えています。
やり直しではなしに、新しい道に出発するのは、定年後になりそうです。
定年までまだ16年半もあります。
おそろしく長い年月です。
なんとか健康を維持して、元気に隠居生活を楽しみたいものです。