ゆで卵

文学

  元ジャーナリストで芥川賞作家の辺見庸は、地下鉄サリン事件に遭遇、サリンを吸っているのだそうですね。
 幸い一命を取り留め、その時の体験を小説にしています。
 タイトルは「ゆで卵」

 不思議なタイトルだなぁ、というのが率直な感想でした。
 地下鉄サリン事件の体験談が、「ゆで卵」なんてねぇ。
 
 で、読んでみると、なるほど、ゆで卵をいくつも喰らっています。
 地下鉄サリンという異常な体験をした後、家に帰り着き、その事件がどういう背景のもとに行われたのか、また、何者によって引き起こされたのか、何も情報がないまま、修羅場と化した地下鉄日比谷線を呆然と抜け出し、家に帰ってしたのは、ゆで卵を食うことでした。
 サリンの異臭よりも、むせかえるようなゆで卵のにおいのほうが強烈だなぁ、などと呑気なことを考えつつ。

 意味不明の異常事態が起きた場合、人は物を食うか寝るか性交するか、とにかく原初的な行動をとるのかもしれませんね。
 本能的に生きるための栄養や休養を欲したり、種の保存を目指したりするのでしょうか。

 食うシーンを、ぽくぽくと食う、と表現していたのが印象的でした。

 一般に、小説家がやってはいけないこととして、造語と、擬音語・擬態語の多用が挙げられますが、この作品ではぽくぽくという言葉が多用されます。

 読者はそこに違和感を感じ、地下鉄サリン事件が背景にある作品であることを思い起こすのです。

 造語では久米正雄が造ったとされる微苦笑というのが、唯一の成功例と言われていますね。

 嘘か真か知りませんが、言語芸術に使うにはあまりに貧弱で実用一点張りだった英語を使って芝居や小説を書くために、シェイクスピアは多くの造語を行い、シェイクスピア以前と以降では英語はまるで違っている、と聞いたことがあります。

 例えばlonely(さびしい)という言葉はonly(独りだけの)からシェイクスピアが造ったとか。

 本当ですかねぇ。

 ま、それはそれとして。
 辺見庸という人、よほど食いしん坊なのか、食い物に関する作品が多いですね。
 有名な「もの食う人びと」なんか、世界中を旅してそれぞれの土地で地元の人と地の物を食うという、考えようによってはまことに贅沢なことをして、あまつさえそれを本にして大金を稼ぐとは、羨ましいかぎりです。

ゆで卵 (角川文庫)
辺見 庸
角川書店
もの食う人びと (角川文庫)
辺見 庸
角川書店
久米正雄伝―微苦笑の人
小谷野 敦
中央公論新社

 

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