アルジェリアのテロ事件

社会・政治

 ここ数日、アルジェリアで起きたテロ事件のニュースが混乱気味に逐次飛び込んできています。
 アルジェリア政府が情報隠ぺいともいうべき態度を取ったまま、情報は錯綜し、何が本当なんだかわからないまま、わが国をはじめ関係各国は苛立ちを募らせています。

 アルジェリア政府は前のめり気味にテロリストの掃討作戦に走り、多くの人質が犠牲になった模様です。
 日本人の犠牲者は9人というのが現時点での最新情報です。
 しかし、実際にはどれだけの犠牲者がでたのか、まだ分からないというのが実情のようです。

 一体何が起きたんでしょうねぇ。

 フランス軍がマリの内戦に介入したのが原因とも、仲間のテロリストの解放を求めているとも言われていますが、それもはっきりしません。

 真相は闇に包まれています。

 現代社会においては、イスラム過激派のテロが、世界を混乱に陥れる最大の危険要素になっています。
 庶民の幸せを願い、恒久平和を求めるべき宗教が、なぜ過激なテロ行為の原因になってしまうのでしょう。
 穏健なイスラム教徒は、テロリストを正統なイスラム教とは似て非なる者だと決めつけます。

 しかし、イスラム教の開祖、ムハンマドは、「殺人は良くない。しかし、イスラム教を信じないのはもっと良くない」と宣言して、自ら軍を率いて異教徒と戦いました。
 キリスト教にも原理主義者がおり、仏教にも過激な一派が存在しますが、少なくともイエスもブッダも自ら闘うことはしませんでした。

 また、わが国の仏教は様々な宗派に分かれ、かつてはかなり激しい宗論を闘わせ、対立もしましたが、仏教徒同士が殺し合いをしたことも、わが国古来の信仰である神道や、戦国時代に入ってきたキリスト教と戦ったこともありません。

 一向一揆というのはありましたが、それは宗教弾圧を行った権力者に抗議するもので、自らが信じる教えを盲信し、それを広めようとしたわけではありません。

 それらを考えると、イスラム教というのは、開祖自らが殺し合いを行った、特異な宗教であると考えざるを得ません。
 その出自からして、好戦的であったわけです。

 現代人は、そのような人々ともうまくやっていかなければならないという、業を負っています。

 多様な価値観や信教の自由を認めるというのは、自由主義社会では普遍的な価値とされていますが、それらを普遍的な価値とは認めず、世界のイスラム化こそが世界に平和と繁栄をもたらすのだと信じているとすれば、もはや話し合いは不可能です。
 原理原則が異なる人々といくら話し合っても、何も合意できないでしょう。

 しかしそれでも、自由主義社会は根気強く話し合いを続けるしかありません。
 テロ行為には強い態度を取らざるを得ませんが、テロリストにシンパシーを感じる一般のイスラム教徒とは、まだ話し合いの余地があると思います。

 世界情勢は複雑怪奇と言わざるを得ません。

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