イオングループが、全国各宗派の寺院と提携し、定価を定めた明朗会計の葬祭業に乗り出す、との報に接しました。
戒名でどんな名前をつけたらいくら、法要はいくら、などとしているものです。
これは遺族にとっては便利なものですね。
寺に金額を聞いても、お志で結構です、と言われるだけなので、いったいいくら払えばよいのか分からない、という人は多いと思います。身内を亡くすという経験は、滅多にないことですし。
お志といっても、千円や二千円というわけにもいかないし、坊主一家も人間である以上、当然、金銭欲はあります。
明治五年の太政官布告によって、肉食妻帯勝手たるべし、ということになって、現在見られる、寺院の世襲が一般的になりました。
浄土真宗は親鸞の昔から妻帯し、世襲をおこなってきましたが、出家主義の親分ともいうべき曹洞宗までもが、なだれをうって妻帯、世襲に流れました。
現在見られる葬式仏教の隆盛は、明治政府による太政官布告によって始まった、といっても過言ではありません。
そして、イオンの明朗会計。これは言ってみたら本音の顕現化ですね。
こっそり聞いていたぶっちゃけどうなのよ、ということを堂々と始めたわけです。
需要があれば供給があるのがこの世の常。
イオンの明朗会計が一般化し、世の趨勢になれば、あらゆる寺院が定価表を作らなければならなくなります。
そして檀家制度が崩壊し、より安い値段をつけた寺院が繁盛したり。
人の死にまつわる葬祭までもがコンビニ化するのは複雑な気持ちです。
もしかしたら遺体にまで、バーコードがついてしまうかもしれません。
しかしこれは、寺院のせいでも檀家のせいでもありません。
宗教に寛容なのは日本人の美徳ではあります。檀家で氏子でクリスチャン。
しかしそのために、日本人は仏教や神道などの、日本の伝統文化を支えてきた根本的な思想に興味を示さなくなってきました。
寅さんが帝釈天でかしわ手を打つシーンは印象的です。神社も寺も区別がつかないのですね。
檀那寺の宗派も知らない、なんてよくある話です。
これは日本人の倫理規範から、仏教の要素が極めて薄くなったためであろうと推測します。
宗教に興味を持つ若者は、多く、既成の教団ではなく、新興宗教に走ります。
現在の仏教界は、もはやリアルを生きることをやめ、タコつぼに入ってしまったかのごとくです。
平安時代に末法思想が流行りましたが、今が、末法の世なのかもしれません。
合掌。