ミャンマー西部のラカイン州で、イスラム教徒と仏教徒との間で、武力衝突が起きたそうですね。
イスラム教徒は血の気が多いで有名ですが、激しい論争はしても手はださない仏教徒が武力衝突に巻き込まれるとは珍しいですね。
イスラム教徒の若者が仏教徒の少女に乱暴し、これに怒った仏教徒がイスラム教徒が多く乗ったバスを襲撃。
さらにこれに怒ったイスラム教徒が仏教徒の部族を襲撃、500軒以上の商店に放火するなどして暴徒化、暴力の連鎖が起こっているようです。
大統領は非常事態宣言を出して鎮静化に努力しているとか。
ミャンマーは89%が仏教徒、イスラム教徒は4%に過ぎず、しかもそのほとんどはイスラム国家、パキスタンとの国境近くに住んでいるそうで、今回の武力衝突も最初はそういう国境沿いの部落で起きたのが、どんどん拡大して、首都で仏教徒がイスラム教徒を追い出せ、とデモを行うまでに至っています。
宗教間対立というのはいつの時代も絶えることがありません。
しかし本来、宗教は争いの種をつみ、平和な社会で、極楽往生なり天国行きなり、成仏なり神ながらの道なりを静かに求めるものであったはず。
それが争いの種をつむどころか、自ら争いの種になっているのでは、本末転倒というものです。
人間というもの、自分と違う思想信条を持った者を毛嫌いするようにできているかのごとくです。
わが国は自由主義社会の一員として、多様な価値観や考え方を認め、それを尊重することが建前です。
その建前を実効あらしめるためには、何より教育が重要。
現代の教育は、つきつめれば自分とは異なる考えの人々に寛容であることを身につけさせるためにあると言っても過言ではないでしょう。
米国旗を焼いた米国青年に無罪判決を下した米国人の保守派裁判長が、苦虫をかみつぶしたような顔で、「米国旗を焼くのは間違いだ。しかし君には米国旗を焼いて思想信条を表明する自由があることを、私は命がけで守る」と言ったというのは、人類が辿り着いた叡智と言うべきでしょう。
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