今日はわが国政府にとって、屈辱的な日であり、世界の笑い物になった日です。
クアラルンプール事件。
1975年8月4日、わが国の左翼過激派がクアラルンプールの米国大使館を襲撃、米国総領事ら52人を人質にとり、わが国政府に服役中の連合赤軍幹部らの釈放を要求。
三木総理は早くも翌5日にあさま山荘事件の坂東国男ら7名の釈放を決めてしまいます。
そのうち2名は拒否して服役を続けますが、釈放された坂東国男は数年後のダッカ事件の首謀者となり、やはり左翼過激派の釈放を要求。
時の総理、福田赳夫は、「人命は地球より重い」という大ウソをぶっこいて要求に応じたことはあまりにも有名ですね。
以来、わが国はテロリストの要求に屈する国、という屈辱的な烙印を押されるにいたりました。
三木・福田の両元首相の罪は誠に重いと言わざるを得ません。
笑えるのは、両事件ともにテロリストの釈放要求者リストに自分の名前が無いことをひどく嘆いたとか言われる永田洋子。
この人、獄中で病死しましたね。
その後これら過激派は何名かは逮捕されましたが、坂東国男は未だ行方不明で国際指名手配中です。
あさま山荘事件で現場の指揮を執った佐々淳行は、坂東国男が再び逮捕され、処刑されるまであさま山荘事件は終わらない、と悔しそうに言っていたのが印象的です。
しかし、佐々淳行は、それまで左翼運動やそれに参加する学生に同情的だった世論が、一気に批判的になり、わが国における左翼過激派がほぼ壊滅したのは、あさま山荘事件解決後に明らかになった、あさま山荘等で些細な理由で14人もの仲間がリンチにかけられ、殺害されたことが報じられたためだとも、語っています。
当初警察はあさま山荘に立て篭もっている過激派が何人いるか分からず、逮捕してみるとわずか数名だったため、残りの20数名を逃すため、殺したと嘘をついているのだと思い込んだそうですが、自白した場所から次々に遺体が掘り出され、慄然とするとともに、同志討ちで勝手に組織を崩壊せしめたことを密かに喜んだと伝えられます。
あさま山荘事件の首謀者の一人で永田洋子の元夫、坂口弘は、死刑が確定しながら、もう20年以上も執行されていません。
おそらく、麻原彰晃などもそうでしょうが、少数とはいえ不気味な動きが伝えられる過激派の連中から殉教者に祭り上げられるのを怖れ、執行できないんでしょうねぇ。
人質が殺されようとテロリストに対しては絶対に交渉に応じない、というのが国際常識。
そうでないと、社会秩序が維持できず、やった者勝ちになってしまいます。
まして人命が地球より重いなんてはずがありません。
極端に言えば、100人の命を救うためなら50人の命を捨てなければならない場合、それを決断するのが政治家の冷酷な役割であるはずです。
それなのに自由民主主義国家の政治家自らが、それを否定するような判断を下すなど、あってはならないことです。
わが国民は、今日と言う日を、わが国政府が物笑いの種にされた恥ずべき日であることを認識すべきでしょう。