サラリーマンの悲哀を描いた小説はあまたあれど、これ以上ない、というほどのサラリーマンの悲劇を描いた文学作品といえば、カフカの「変身」に止めをさすでしょうねぇ。
ワーカ・ホリック気味の猛烈サラリーマン、グレゴール・ザムザが日頃の勤労から疲労し、寝坊してしまいます。
ドア越しに母親が声をかけて目を覚ましますが、何かが変です。
どうも背中が甲羅みたいになっています。
グレゴールは巨大な虫に変身してしまったと知れました。
しばらくは部屋に閉じこもって自分が虫になったことを隠していましたが、ばれないわけがありません。
グレゴールの給料だけで両親と妹との4人家族を養っていたのに、グレゴールが職を失い、それまで一家の大黒柱として尊敬されていた彼は、家族から毛嫌いされる存在になってしまったのです。
仕方なく、老いた父親はグレゴールが勤めていた銀行の下働きに出、妹は売り子になり、それでも足りずにグレゴールの部屋に家具をどんどん運び込み、空き部屋を作って下宿屋を始めます。
下宿人にグレゴールの存在がばれたら大変と、グレゴールは家具だらけになった自分の部屋にうずくまったまま、腐ったパンやチーズを与えられ、絶望の日々を送ります。
グレゴールに憎しみを抱いた父親がグレゴールにリンゴを投げつけ、甲羅に傷がつき、その傷がもとで、一ヶ月後、グレゴールは死亡します。
両親と妹だけになったザムザ一家は、嫌な思い出のつまった家から引っ越し、まだ若い妹をお金持ちと結婚させようと、明るい未来を夢見るのでした。
金の切れ目が縁の切れ目とは言いますが、巨大な虫になど変身せず、単に重病を患ったというだけなら、これほどの悲劇は生まれないでしょう。
しかし私は、平成16年4月にうつ病を発症し、翌17年8月から半年間休んでいた時、私のすべてが否定されたような絶望感に見舞われました。
とても仕事に行ける状態ではないのに、町でネクタイを締めてダーク・スーツで決めた同世代のサラリーマンを見かけるだけで、激しい嫉妬にかられました。
なぜあいつじゃなくて、自分なんだ、というわけです。
仕事は生きるための糧を得るためだけの物だと思いきっていたつもりだったのに、病気休暇をとっているというだけで、誰も私を責める人などいないのに、一人で勝手に自分を否定し、余計落ち込んじゃったのですよ。
精神科医からは、仕事に行っていないというだけで、全然休まってないですねぇ、なんて言われましたっけ。
それを思うと、グレゴールの絶望がいかばかりか、想像するだに涙を禁じ得ません。
そしてまた、つい一か月までグレゴール一人を頼りに生きていた家族が、変身とともに彼を毛嫌いして、死んだら晴れやかに明るい未来を夢見るなんてねぇ。
しかし、それが冷厳な現実というものなのでしょう。
人間は過去の記憶に縛られる生き物であると同時に、現実に適応し、過去を忘れていく生き物でもあります。
その冷厳な現実を突き付けた「変身」は、いやぁな名作と言わざるを得ないでしょう。
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Franz Kafka,高橋 義孝 | |
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エヴゲーニイ・ミローノフ,イーゴリ・クワシャ,タチヤナ・ラヴロワ,ナターリヤ・シヴェツ | |
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